私は現在仕事をしておらず、無職の期間はもうちょっとで3年になろうとしています。
その間、両親には経済的な面で負担を掛けました。
いや、両親には、経済的な負担よりも心理的な面で多大なる負担を掛けてしまっていると思います。
このブログで書いているような考え方を口にしたところで、いまは自力で収入を得ているわけではないので、説得力に欠け、口にしていることと行動していることのギャップが大きいかもしれません。
精神世界的な観点でみれば、私はカルマを作っていると思います。
この人生で両親に多大なる心理的負担を味あわせてしまったので、未来世では魂のエネルギーバランスを取る為に、自分が逆の立場になって両親の魂に奉仕するかもしれませんし、そうでなくても、何らかの形でカルマの清算をすることになると思います。
もちろん、今後の人生で、挽回し、魂としてのバランスを取ることも出来ると思います。
また、カルマというのは魂に刻み込まれた思い癖であり、それを選択しているのは自分自身。カルマを作ってしまったとしても、それはそれでよかったのだと考え、自分を赦すことが出来れば、カルマの清算という形で今生、或いは来世にて辛い体験をする必要はないのではないかとも考えています。
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両親には大きな心の傷を負わせてしまったかもしれませんが、それを受け止めてくれる人というのは、自分にとって絆の深い魂だと思います。
この世界に生まれてくるとき、親子や夫婦になる関係というのは、魂的にとても縁のある関係だと言われています。
自分とよく似た価値観や感性を持っている、とても近い存在だと言えるでしょう。
そういう意味で、誰かに迷惑をかけてしまったとしても、その体験自体からいろんなことを学べた事は、その人がいたからこそであり、それはとてもありがたいことだと思います。
なので、そういう学びの機会を与えて貰ったことに感謝の気持ちを持ってみると良いでしょう。
私は精神世界やスピリチュアルな事をブログで書いておきながら、一般的に言われるような立派な生き方が出来ているわけではありません。
ただ、精神世界を学んだからといって、堅苦しい生き方をしなければいけないとは思いません。むしろその逆だと思います。何でも有りという言葉が適当かと思います。
ポジティブな事、ネガティブな事、どんな事にも等しく価値があります。
人生に意味はありません。
意味は自分で決めることが出来ます。
どんな体験も、その体験が出来た事自体に意味があります。なぜなら、魂はただいろんな体験をしたかっただけだからです。
こういう事を考えていると、何か失敗したり、心配事があったりしても、少し気持ちが穏やかになります。
何か問題が起きたとしても、心は穏やかに、出来ることを淡々とやっていけばいいのだと思えてきます。
人生に対して良い意味での楽観性が出てきます。
失敗を恐れずにいろんな事に挑戦してみようと思えてきます。
いま与えられた環境をあるがままに受け入れ、楽しく生きてみようと思えてきます。
失敗が失敗でなくなります。
人生とは、ただいろんなことを試してみればいいのだという事が分かります。