La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

バランスのとれた人生

『学問には二通りあります。 1つは知識の学問であり、もう一つの学問を徳慧の学問といいます。本来の学問とは徳慧の学問を指します。知識を学ぶことは、言わば教育の枝葉末節です。人間としていかに生きるか、徳慧のために生きることを学ぶことこそが本来の学問、すなわち幹の学問なのです。』(生きるための26のこと 七田眞さんの著書より)

 

これは、私がとても大事にしている考え方の1つです。知識の学問は、頭(思考)を鍛える学問であるのに対し、徳慧の学問は心を鍛える学問であるとも言えると思います。心とは、人間性に関わる部分です。知性と人間性、そのどちらも大事なのですが、どちらか一方に偏重してしまうと、人間としてのバランスを崩すのだと思います。

 

また、知識の学問は、主に書物から得るもの、徳慧の学問は、実体験から得るものとも言えると思います。書物で学んだ知識は、実際の仕事で生かし、仕事での実体験を重ねることで、それが知識から智慧に変わるとも言えるでしょう。

 

学校で習得する学問以外では、人生の中で様々な苦境を経験することによって、心に余裕が出来、それが、優しさ、強さ、人を慈しむ心を育みます。これが人として望ましい生き方を目指すこと、すなわち徳慧に当たる部分なのだと思います。

 

難しい学問ができることは良いのですが、それだけでは、あと一歩足りないと思います。というのも、現代の学歴重視の価値観の中で生きていると、自分本位の姿勢になりやすいと感じるからです。

 

現代社会では、多くの人が、将来経済的に豊かで幸せな生活を手に入れる為に、10代のうちから難しい学問をして、偏差値の高い高校、大学に進学し、良い就職をすることを目指しますが、その姿勢が根本的におかしいと思うのです。

 

自分の幸せを第一に考えることも必要ですが、それだけでは足りなくて、人を幸せにする為に仕事をするという気持ちを持つことが望ましいと思います。難しい学問ができるなら、それを世の中に役立てる方法を考える。才能を世の中の人たちと分かち合う方法を考える。

 

学校の勉強ができる人が偉いわけでも、できない人が劣っているわけでもありません。その逆も然りです。

 

自分が輝ける場所を見つけ、そこで一生懸命仕事をすることです。一隅を照らすということです。若い人たちに必要なのは、どうしたらそういう生き方ができるのかを考えることであって、どちらかというと、学校における、机の上の勉強ではありません。

 

学校の勉強が好きな人は、それを継続したらいいし、学校の勉強が嫌いな人は、『自分の人生にとって必要のないことが1つ分かった』くらいに捉えていたらいいと思います。ある有名な億万長者の方が仰っていましたが、学校の勉強ができないのが馬鹿なのではなくて、勉強ができない自分はダメだと思ってしまうことが馬鹿なのだと。

 

最近私は、仕事とは、単なる手段に過ぎないのではないかと思うようになりました。私はまだ多くの職種を経験したわけではないので、あまり偉そうな事はいえないのですが、どんな職種であれ、その仕事を通じて、自分が何を感じ、何を考えるかが本質であって、そのための手段はなんでも良いという事です。

 

私が個人的に考えている人生の目的は、『心が震える体験をすること』なので、それを実現する手段は何でも良いということです。

 

そういう意味で、私はこのブログで、好きなことを仕事にしよう!とお話ししていますが、必ずしもそうでなくても良いと思えてきます。好きなことをして学べることもあるし、嫌いなことや苦手なことをして学べることもあります。そのどちらにも価値があると思います。

 

好きなことだけをして生きる人生も、一見幸せな人生に見えますが、人は時に苦境から学んだり、気づいたりすることがあります。苦境とは、いわば人生におけるスパイスのようなものです。それがあることで、人生がより味わい深いものになるのです。

 

反対に、人生が苦境ばかりでも、人生に対して希望を見出せず、全てのことが否定的に見えてきます。やはり人間には楽しさを感じられる時間も必要なのです。結局のところ、ワクワクも苦境も、バランスが取れていることがより良い人生を生きる上で大事であると言えるでしょう。

 

成功者といえば、一芸に秀でた人物や、鋭く尖った刃物のような個性を持つ人物であることも多いようですが、個人的には、人間的にバランスのとれた成功者を目指したいと考えています。自分にはそういう生き方が合っていると思うからです。