哲学者の資質について考えてみます。私は現在無職の為、時間がたくさんあります。有り余る時間を使って、いろんなことを考えます。
私とは何者だろうか、私と他人の区別はどこにあるのだろうか、自我と真我の違いは何だろうか・・・他にもたくさんありますが、このブログに書いているように、精神世界、心理学、哲学などについて考えることが多いです。
考えても分からないので、本を読んだりインターネットで調べたりしてさらに考えるのですが、疑問が解決しないと、いよいよ自分が何なのか分からなくなってきて、葛藤が起きてきます。
『そんな事考えてないで楽しいことをしようぜ』と言う声が聴こえてきそうですが、やはり気になります。いわば自分の思考によって、自分を苦しめているのです。
今日は天気が良かったので、先ほど外に出て日光浴をしてきました。まだまだ寒いですが、新鮮な空気を吸って、太陽の光を浴びていると、少し気分が晴れます。
思ったのは、哲学をやる人は暇な事が一つの条件かもしれないと言う事です。
あまり暇なので、この世の真理とか、本質的なことに興味が湧くのです。
仕事をしていれば、仕事をこなすことや人間関係の調整に思考が使われるので、哲学などを深く考えている暇がないのです。
帰宅後も、くつろいだり趣味をやったりと、やりたいことがたくさんあれば、尚更哲学などをする暇はありません。
ただ、仕事や人生に行き詰った時、人は初めてそういう事を考え始めます。
昔の哲学者はどうだったか知りませんが、哲学者とは暇な人、私のようにニートで人の世話になっている人が合っているのかもしれません。
哲学者や学者といっても、教育機関に属して教鞭をとる必要はありません。
自分が哲学者や学者だと思えば、そうなります。
考えたり、ブログに書いたりするだけでも良いのです。ただ私は哲学者になりたいわけではありません。
仕事や人間関係の忙しさにかまけて本質的な事を見失ったり、思考停止状態に陥るのも好ましくありませんが、私の様にあまり深く考えすぎるのも好ましく無いのかもしれません。
無職やニートにはネガティブな側面もありますが、こうやって物事を深く考えたり、知識を吸収したりできるというポジティブな側面もありますね。
追記
私はこれまでの人生の中で、3年弱実家でニートをしていました。当時書いたニートに関する記事もありますので、よろしければ読んでみてください。