La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

農業のアルバイト

ここ最近、ちょっとしたアルバイトをした。日雇いの仕事。

 

知り合いの菊の栽培の手伝いを数日間していた。社長は人手を欲していたようだが、私は、あらゆるビジネスモデルに興味があったので、そういう話も聴く目的で手伝うことにした。

 

その仕事で感じたことをいくつか。

 

作業自体は単純で、菊の芽を手で摘み取ったり、摘み取った菊の芽をケースに手差ししたり。作業をしながらいろんな話をした。菊栽培のビジネスの話、哲学的な話、量子力学コペンハーゲン解釈多世界解釈についての話、ロボットアニメの話・・。社長は普段ひとりで作業しているのだが、一人だとどうも作業が進まないらしく、私が隣にいると作業が捗ると言って喜んでいた。

 

会社で働いていると、中々経営面について話を聴く機会は少ないと思う。多くの場合、仕事のスキルを伸ばすことに注力はしても、いかにしてお金を稼ぐかということまでは考えないのではないだろうか。でも、個人事業主と一緒に仕事をすると、直接経営者の声が聴けるとあって、私にとっては貴重な時間になった。

 

苗が数万本あって、一本あたり利益が○十円なので、一年間の利益がこれだけになって・・。ハウスや設備は○○円で借りることができるとか、栽培の知識は研修で得たとか、出荷はお盆前で、出荷時期がちょっとでもずれると、売上が大幅に減少する・・など。自分がこれから起業してビジネスをやろうと思っているので、そういう話もすんなり頭に入ってくる。

 

農家の場合、月給と言う考え方ではない。田んぼでも、菊栽培でも、多くの時間と労力をかけて、売り物を作り上げる。その年の収入で次の年を食べていくことになる。このあたりが一般的な会社員とは大きく違っている。何らかの原因で収穫物が売り物にならなければ赤字になってしまうわけで、普段の仕事のひとつひとつに魂をこめる事が必要になるのだと思った。

 

作業をしていて感じたのが、単純作業を自動化できないものだろうか?という点。例えば、菊の苗をケースに差す作業を自動化できないものだろうか?という話をしたが、今のところそんな機械はなく、人手に頼るしかないらしい。農業自体が、人手と時間がかかる割には利益率は多くないという印象を受けた。より多くの利益を出そうと思ったら、大規模農業化するか、他でやっていない突飛なことをやるかになるのだろう。

 

ビジネスというのは、『必要』から生まれると思う。今回のように、苗を自動で植える機械がまだ存在しないなら、それを作って売ることもできる。ニッチな産業になるかもしれないが、需要はあるかもしれない。実現可能かどうかは差し置いて、いろんなアイディアを考えるのは楽しい。

 

また、日当を頂いたのだが、その時、なんだか申し訳ない気持ちになった。それは、給料をくれた相手が知り合いだったから。あとは、直接社長から貰ったからだと思う。

 

これまで会社から給料を貰っても、ありがたいとは思っても、申し訳ないとは思わなかった。上司から給与明細を貰っても、申し訳ないとは思わなかった。仮に自分が経営者で、社員に身銭を切って給料を払うとしたら、やっぱり複雑な気持ちになると思う。会社の場合、給料を受け取る部下も上司も身銭を切っている思いは少ないと思う。なぜなら上司であれ部下であれ、雇われ人だからだ。

 

もし毎月直接社長が来て、『ありがとう』と給料を手渡されたとしたら、絶対気持ちは違ったはずだ。多分いろんな事を考えただろう。

 

自分は給料分に見合った働きが出来ただろうか。会社の利益に貢献できただろうか。社長や同僚の役に立てただろうか・・という具合に。

 

菊の苗を植えながら思ったのは、やはり仕事はそういう事まで考えてしなければ会社の将来が危ないということだ。

 

自分一人が適当に仕事しても、会社は潰れないかもしれないが、仮に大きな会社の大多数の社員がそんな考えで仕事をしていたとしたら、その会社の先行きは危ない。

 

以前の自分は会社員でありながら、当事者意識が足りなかったと思う。今思えば申し訳ない。

 

今回の手伝いは、もちろん採用面接などはなく、電話一本で即採用だった。知り合いであり、自分を信用してくれたから、手伝いを依頼してくれたわけだ。そう思うと、その期待に答えたいと思うのが自然だった。

 

今回自分が植えた菊の苗が、数か月後に立派に育つことを祈ろう。

 

読んでいただいてありがとうございます。