La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

与え合いの社会について考える

私は将来自分のビジネスを持ちたいと考えていて、その為にお金の仕組みについて書かれた本を読んでいます。

 

その中で、ビジネスをする上で大事な事は何なのか、自分なりに考えています。

 

今日はふと次のような事を考えていました。

 

私は現在家族のお世話になっていますが、身寄りが無くなった時、必然的に一人で生計を立てる術を考え、行動に移していかなければなりません。

 

例えば、仕事も身寄りも無くなった状態で、東京のど真ん中に放り出された時どうするだろう? 或いは、今いる秋田ならどうするだろう?と考えます。

 

その時湧いてくるものは、無力感や寂しさだと思います。周りは知らない人ばかりだから、誰かに一時的に養ってもらう事は難しい。多くの場合、見ず知らずの人にすがることは恥であると捉えられると思います。

 

お金を稼ぐアイディアがあるなら、それを行動に移せば良いのですが、何もアイディアが無い場合、当面は働き口を探す事しか思いつきません。

 

運よく仕事が見つかれば良いですが、見つからなければ、路上で飢え死にするかもしれません。そんな時、どうしようもない無力感や寂しさ、情けなさを感じると思います。

 

でも、そんな時、私はこうしようと思います。

 

それは、自分に出来る事をして、他の人に奉仕しよう。という事です。

 

ゴミ拾いでも掃除でも、荷物運びでも、何でも良いから、どうせ死ぬなら、誰かの役に立ってから死のうと思うのです。

 

そうしたら、誰かがお礼にお金をくれるかもしれません。ご飯をおごってくれるかもしれません。もし何も貰えなくても、それで良いと思います。

 

私は、仕事やビジネスの原点は、こういう所にあるのではないかと思います。

 

それは、報酬の有無に関わらず、自分に出来る事をして誰かに奉仕する事です。

 

当たり前と言えば当たり前ですが、私は、これまでの人生でこんな気持ちで仕事をした事があっただろうか?という疑問が湧いてきます。

 

ビジネスを考える時でさえ、如何にして稼ぐか、如何にしてお金を生み出すシステムを作るかという点に意識が向きます。

 

確かにそれも大事ですが、一番大事な事、自分が心の底で一番望んでいる事は何なのだろう?と思ったのです。それはやはり安心感や心の平穏、他者の喜び、他者への信頼感ではないかなと思いました。

 

ちょっと次のような事を考えてみましょう。

 

もし、戦争や地震によって、国が滅茶苦茶に破壊されたとしたら、何も無い状態から社会を作っていかなければいけません。

 

もし食べるものが本当に何も無かったら、他人の心配をしている場合では無くなるかもしれません。自分が生き延びる事で精一杯で、他人を見殺しにする事も止むを得ないかもしれません。もし自分がそういう立場なら、そうするかもしれません。

 

でも、そういう時、与え合いの姿勢が大事ではないかと思います。奪いあうよりも与え合う方が、助かる人が増えるとも思うからです。もちろん、自分が与えたとしても、他人に与えてもらえなかったら自分は死んでしまうので、簡単ではないかもしれません。

 

これはあくまでも理想ですが、そういう状況になった時、人々がするであろう行動に、現代のビジネスにも通じるヒントがあると思います。ポイントになるのは、やはり誰かの役に立つ事、人に必要とされる事、自分の稼ぎ以上に、世の中に与える事だと思います。

 

何も無い状態から、何を提供できるかという観点で考えれば、アイディアは幾つも湧いてきます。そういう時は、人に頼っている場合ではなく、自分から何かを生み出すしかないからです。ゼロから1を生み出すしかないのです。

 

現代社会ではどうでしょう。現在、先進国ではモノやサービスが溢れかえっている状態です。ならばその状態で必要とされるサービスを考えれば良い事になります。

 

例えば、お金やモノというよりも、安心して暮らせる社会の仕組みやコミュニティ作り、他者への信頼を感じる事の出来る何か、心を踊らされる何か。曖昧ですが、こんな事があると思います。

 

また、お金を稼ぐ事だけでなく、お金の流れ(キャッシュフロー)を生む事に意識を向ければ、ビジネスを展開する過程で、自分も他人も幸せになれるという理想の形が実現できると思います。

 

自分の所に溜めこまないで、一人一人はお金やモノの通り道に徹するという事です。その過程で、必要十分な富と豊かさが皆にもたらされるイメージです。

 

地球にある資源も食べ物も、誰の所有物でもありません。これは考えてみれば当たり前な事ですが、人は何かを所有しなければ安心感を得られません。それは根本に怖れや不安があるからです。

 

他者を信頼出来ない。自分がしっかりしなければ、誰も助けてくれない。そういう怖れです。その結果、与え合う事よりも奪いあう事に意識が向いてしまいます。それが極端になると戦争が起きます。

 

仮に、万人の生活が無条件に保障されている社会が実現したとして、そこではお金が介在しないとします。

 

しかしながら、そのような社会であっても、社会に必要とされないサービスは受け容れられません。自分よりも質の高いサービスを提供出来る人が出現すれば、そちらに人は流れて行きます。

 

これは現在の資本主義社会でも同じですが、現代では価値を生み出さない人間は社会から爪弾きにされてしまいます。ただ、私自身社会不適合者だと思っているので、個人的にこれではちょっと厳しすぎると感じます。あまり難しいことは分かりませんが、皆で競争して奪い合うよりも有るものを分かち合ったほうが社会が簡単になるのでは?と思います。

 

価値あるものを提供できる人には引き続き価値を生み出してもらい、そうでない人には、生活を保障してもらいながら、自分の価値を提供する方法を見つけてもらうのです。自分の好きな事を見つけ、それを世の中と分かち合う方法を真剣に考えてもらうのです。

 

(現在の日本でも生活保護などの保障はありますが、色々条件がありますし、保護を受ける事は、どちらかというとネガティブなイメージがあると思います。そういうシステムをもっと簡単にしても良いのではと思います。)

 

現代は自分の為に働く事に意識が向き過ぎていて、生きづらさを生み出していると思います。

 

十分な豊かさが常にあるという安心感があれば、もっと人に与えようという姿勢が生まれると思います。

 

実際、大震災が起きた時などは、一人一人がそれぞれの立場で出来る事を持ち寄ったわけで、普段からそういう姿勢で生きる事も可能ではないかと思います。

 

最初はお金にならないかもしれません。でも、生きる事の基本も、ビジネスの基本も、『与える事』ではないかなと思います。

 

さて、偉そうな事を書き連ねてしまいました。読んでくださってありがとうございます!