La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

思い込みで傷つくのをやめる 自分を受け容れる

今日、3~4年前に撮り溜めていたデジカメの自画撮り動画を見返していました。はっきり言って、ショックでした。

 

それは、当時の自分が、現在の自分が描いている自己像とは明らかにかけ離れていたからです。もちろん、現在は当時とはかなり内面的にも外面的にも変化しているので、今はより理想の自己像に近いはずだとは思います。

 

『はず』と書いたのは、ここ最近自画撮りをしていないので、自分を客観的に見る機会が無かった為です。これを受けて、家に有ったデジカメでもう一度動画を取ろうという気持ちが芽生えました。

 

3年前の自分を見て感じたのは、かなり女性的であること。言い方を変えればナヨナヨしている感じに見えました。動画を見ただけで、当時の私のマインドがかなり繊細で女性的だったことを思い出すことができました。自分に自信が持てない所為か、話し方もボソボソしていたり、目に精気が無かったり・・そんな姿を見るに堪えなくなって、しばし気分が落ち込んでしまいました。繊細さ、女性らしさが『ネガティブな形』となって出てしまっていたのだと思います。

 

動画を見て、過去世では女性として生きた回数が多く、その頃の思い癖が今生の私にも影響しているのではないかと思いました。ある意味でこの人生は『男性的な生き方』を学ぶ為の人生かもしれないとも思いました。

 

3年前の私は、気になる女性が居たこともあり、自分がどう見られるかが過度に気になっていたようです。それで自画撮りをしたのだと思います。

 

そして、当時の私も、動画に映った自分を見て、理想の自分像との余りのギャップにかなりショックを受けたのだと思います。

 

でも、どうしてショックを受けるのかということについて考えてみましょう。

 

それは、現在の自分像と、理想の自分像が乖離しているからです。もちろん理想はあっても良いのですが、それは単なる思い込みであり、自分が『こうでなければならない』と信じているだけです。

 

『男たるもの、こうあるべき』『もっと男らしくあるべき』『大きな声でハキハキ話す』『体格もしっかりしていること』『声色はこんな感じ』・・・など種々の理想があり、その理想にそぐわない現実を目の当たりにした時、苦しみが生まれます。

 

すべての感情が生まれる原因は、自分の思い込みにあります。『これはこうあるべき』という思い込みから外れる現実を目の当たりにした時、ネガティブな感情が生まれ、理想に合っていれば、ポジティブな感情が生まれます。

 

仮に現在の自分が理想の自分と乖離していたとしても、それに向けて努力すれば良いのですが、人はまずはじめに大きなショックを受けて落ち込んでしまうものです。繊細な人ほどそれをネガティブな方向に増幅してしまうと思います。『自分じゃダメだよな・・・』という具合に。

 

私の経験上、そこから立ち直る為に、『自分を受け容れること』がポイントになると思います。

 

仮に理想の自分像に到達できたとしても、以前の自分を『ダメで情けない』と卑下し続ける限り、自分の中に『許せない何か』が存在します。自信を持てたとしても、それは見せかけの自信になってしまいます。理想に向かって突き進むのは良いのですが、自己否定がベースでは、常に理想を追い求めることになり、長続きしないし、自分もどこか苦しいです。

 

まずは現状がどんな自分であったとしても、それを心から受け容れると心が穏やかになります。その状態で理想に向かって進めば、楽しく成長できます。または、高い理想を掲げるのは良いのだけれど、何度失敗しても地道に理想を目指すというスタンスで、人生に対して楽観的に望むと良いと思います。

 

私の場合は、数年前の自画撮りを見て、最初は苦しみが湧いてきたのですが、感情を整理していると、そんな自分を受け容れてみても良いのではないか・・・と思うようになりました。多分、当時の私も同じように苦しんだ挙句、自分を受け容れたはずです。そういうプロセスを経て、『自分を受け容れることの大切さ』『ハートを開くことの大切さ』について学ぶことができたのだと思います。自分を苦しめる体験をした先に得られる心の穏やかさというのは、自分に癒しをもたらします。心が大いに震える体験を通じて、ハートが開く感覚を味わうことができるのです。

 

現在の私は、自分に自信が持てるようになりましたが、多分当時の自分のような性格では余り女性にモテナイでしょう。あまり男らしくないからです。ただ、『男たるもの、こうあるべき』『女たるものこうあるべき』というのは完全な思い込みです。男らしい男性もいれば、女らしい女性もいます。それらを両極として、その間には様々なバリエーションの男女像が存在します。

 

真ん中に行けば、男性性と女性性をバランス良く持ち合わせた、中性的な男女になるし、女性的な男性もいれば、男性的な女性もいます。それらは単に個性の違いというだけです。

 

でも、それじゃあモテナイと感じるのは、自分の中に有る理想の男女像に固執しているからです。苦しみから解き放たれる為には、何が何でも理想を実現する以外にも、自分の思い込みを変えて無条件に今の自分を受け容れる方法もあります。

 

また、異性の好みは人によって千差万別です。割合としては少ないかもしれないけれど、自分のような人間を気に入ってくれる人もいるかもしれないのです。

 

モテル、モテナイの思い込みを外し、自分の個性を受け容れることが出来れば、自分が好きになります。『変』だと思っていた自分の個性が愛おしく思えてきます。何回も自画撮りを見ていると、見慣れてもきます。なんだかんだ言って、私たちは結局、自分の事が一番好きなのかもしれません。であれば、そんな自分を丸ごと愛することができます。

 

誰だって、他人に酷い事をしたいとは思いませんよね? だとすれば、自分の振舞いが変に見える所為で、現在の自分が好きになれず、心に余裕が持てなかったとしても、相手に対して誠意を持つことは出来ます。自分の振舞いが『変』だとしても、自分の気持ちは振舞いに反映されます。誠意を持って行動すれば、『変』なりにも、相手に対して不快な印象を与えることはないのでは?と思います。

 

逆に、自分がどう見られるかばかりを気にして、相手に対して、失礼な振舞いをしてしまっては本末転倒です。自分磨きもしつつ、相手に対して喜んでもらおうという気持ちを持つのが良いと思います。

 

『自分を受け容れること』が簡単には出来ないのは良くわかっています。一度自分を受け容れたとしても、時が経てば、自分の事が無性に嫌いに思える日もやってくるからです。それもまた受け容れてみると良いでしょう。

 

完璧でなくても良いんです。人生全体で見た時に、バランスを保っていれば、大丈夫だと思います。バランスを保つ為に、ポジティブに触れたり、ネガティブに触れたりすることもあると捉えると良いでしょう。

 

読んでいただいてありがとうございます!