La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

自分をオープンにする

ここ数日、数年前に自分が書いた手記を読んでいます。その中で気付いた事があります。それは『自分は成長した』という事です。当時の自分は、書いた内容に自信を持っていました。でも今読み返してみると、『未熟』『うぬぼれ』という言葉が浮かんできます。

 

数年前の私は、今よりもどっぷりと精神世界に浸かっていたので、『この宇宙の創造主は私だ』という事を本当に信じていました。もちろん私の意識が宇宙に影響を与えているのは確かですが、ちょっとずれていましたね。自分の殻に閉じこもると、感性が磨かれる半面、偏った思想に陥る危険もあると思います。

 

やはりこの世界を生きる上で、人と関わることは必要だと思います。何より、目の前の仕事も満足に出来ず、社会に依存しているような青二才の私が、精神世界をちょっとかじっただけで、この世の真理が分かったつもりになっていただけでした。精神世界を探求したからと言って、私が分かった事など本当に些細な事です。私はまだ何一つ分かっていないのです。

 

手記を見直していて気づくことがあります。それは当時の私は『人に心を開く事ができなかった』『自分がどう思われるかを気にしすぎていた』という点です。例えば、『休みの日に何をしていますか?』と質問されたとします。そんな時当時の私は、自分のしている事を具体的に話す事ができませんでした。裏を返せば、『自分を良く見せたい』という強烈なプライドがあり、自分をオープンにする事が出来なかったのです。

 

当時の私は交友関係も狭く、休日になっても予定がありませんでした。ただ本当に何もしていない訳ではなく、インターネットをしたり、ドライブに出掛けたり、読書したり、お茶を飲んだり、している事はありました。単にそれをお話すれば良いのですが、それが出来ませんでした。

 

おそらく、どんな本を読むの?、どんなサイトを見ているの?と聞かれるのが怖かったのでしょう。結果、曖昧な言い方で誤魔化していました。なぜか自分のことを知られるのが恥ずかしい気持ちがあったのです。多分、自分のしている事や関心のある事があまり一般的ではないと感じていたので、そういう話をしないほうがいいのではないかと思って、曖昧な返答になったのだと思います。また、友達もいない自分が『つまらない人間』と思われるのが怖かったのだと思います。

 

しかし、質問に対して曖昧な返答が来ると、相手は『自分と仲良くなりたくないのかな』と思うものです。結果、益々親密な人間関係が築けなくなり、『どうして自分は上手く人間関係を築けないのだろう』となるわけです。

 

『自分はおかしい』というのは自分を傷つけてしまう悲しい思い込みです。当時の私は、自分と同じような人間が周囲にいなかった事もあり、自分を『変な人間』と思っていました。自分に自信が持てませんでした。本当に今とは真逆でしたね。でも、『変』は『個性的』と言い替える事も出来ます。

 

例えおかしな事を口走ったとしても、どうなるわけでもありませんね。間違ったとしても、それを改めればよいだけの事なのです。臆病な人ほど『自分を良く見せよう』『失敗できない』という気持ちが働きます。でもその思い込みの所為でどれだけ人生の時間を無味乾燥なものにしているか、どれだけ自分を苦しめているか考えてみてください。

 

少しずつで良いと思います。怖れていることに挑戦してみてください。自分をオープンにしてみてください。もし『変な自分』を受け容れてくれる人がいたら、もっとその人と関わってみましょう。自分をオープンにしている人と接してみましょう。そうすることによって、徐々に徐々に、あなたのハートが開き始めるのです。

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