最近の様々な分野における技術の進歩には素晴らしいものがありますね。現在このブログはタブレットPC(iPad Air2)で執筆しています。今や、街を歩けば、誰しもスマートフォンをいじっていますよね。みんなで一緒の部屋にいても、各々端末を覗き込んでいることも珍しくありません。私が子供の頃はこんな風景をみることはありませんでした。
第1、携帯電話を持っていませんでした。私は高専の一年生(15歳、2001年)の頃、電車通学でしたが、最寄り駅から自宅までは距離がある為、親に車で送迎してもらっていました。私も親も携帯電話を持っていなかったので、電車に乗る前に、公衆電話から親の会社に電話をかけて『迎えに来て!』とお願いすることもよくありました。今からすれば笑えますね。その後17歳の頃、始めて携帯電話を持ちました。
今の若い方々は、公衆電話やテレホンカードを使ったことがない人もいらっしゃるのではないでしょうか? テレホンカードとは電話機に硬貨を入れる代わりに、50回や100回分使えるカードを買って、それを電話機に入れて使うものです。回数が減ると、カードの回数表示のところに穴が空きます。
2001年頃といえば、ちょうど携帯電話が普及し始めていた頃で、個人が端末を持つことも多くなり始めた年代だと思います。私が初めてインターネットに触れたのもその頃でした。まだ15年程前です。ホントについ最近という感じですが、その15年の間に、携帯電話やネットの技術はかなり進歩しましたね。
今では、掌サイズのスマホ端末が1つあれば世界中の情報にいつでもアクセスでき、世界中の人と簡単に繋がることができます。ユビキタス(いつでも、どこでもそこにある)社会という言葉がありますが、現在私たちの目の前に広がっている世界は、ユビキタス社会そのものですね。
よく言われることですが、私たちは15年前に、現在の世の中の様相を、想像することができたでしょうか? 同様に、これから15年後の世界がどうなっているのか想像することなどできません。 15年と言わず5年後10年後ですらも、わかりませんよね。
インターネットでこれまたよく目にするのは、10年後なくなる仕事と言う記事です。ロボットの技術が進歩して、より自動化が達成されれば、現在人間が行っている仕事もロボットで代替可能になるため、人間の仕事がなくなると言われています。
そこで問題となるのが、ロボットによって仕事を奪われた人々の生活です。仕事がなくなれば、多くの失業者が出てしまいます。その為、今のうちから将来の仕事について個人個人が考えていくことが必要で、ずっと同じ職場で働き続けることは難しいかもしれません。
しかし私はそこで次のように考えることもあります。例えば、ロボットや人工知能の技術が発達して、人が生活のために労働する必要がなくなったとして、そのような社会で、人が無理して仕事を作って働く必要があるのか?ということです。
私たちが生きるために必要なのは、基本的には衣食住の3つです。食料がロボットによって余剰に生産され、すべての人に平等に分配されているとすれば、食べ物を買うお金を得るために、無理して仕事を作って働く必要がなくなるのです。ところが現在においては、食べ物が捨てるほど余っていても、お金を持たない人に分け与えることが、簡単にはできません。それじゃあ、一体何のために、食べ物を生産しているの?という話になるわけです。
そういう意味で、上記のような社会が実現した場合、それに合った政治や経済の新しいシステムが必要になると思います。お金のルールを少し変える必要があるのです。現在もベーシックインカム制度や無償奉仕社会など、様々なコンセプトがありますよね。
そのような社会では、仕事という言葉の定義も変わると思います。生活のための仕事ではなく、自分のやりたいことや喜びを表現する手段として仕事をするようになると思います。簡単に言えば、自分のためだけでなく、今よりも、より、世の中に奉仕するために仕事をするようになるということです。
現在様々な成功哲学や成功者の体験、稼ぐ方法などがインターネットで知られるようになりましたが、その多くに違和感を覚えることがあります。
それは、国や会社や他人に頼らず自分の力で生きていく、とか、いかにしてライバルに勝つかなど、競争や分離を感じさせる文言が目立つためです。いくら技術が進歩して私たちの生活が便利になったとしても、心穏やかに過ごすことができなければ、本当の意味で豊かな社会とはいえず、やっていることはずーっと昔から同じ『競争社会』になってしまいます。
お金って便利なツールなんだけれども、現在の私たちはそのルールに縛られすぎていると思います。私は難しいことはわからないし、色々と大人の事情というものがあるのだろうけれど、そのあたりを、もっと簡単にしても良いのではないかと思うのです。
現在あるお金や経済というルールの中だけで解決策を考えようとするから、いい解決策が出てこないのだと思います。物事の本質ではなく、イタズラに話を複雑にして枝葉末節ばかりを見ても問題は解決しません。
そして、それは、政府や大きな組織が何とかしてくれるだろうと考えるのではなく、私たち一人一人が個人レベルで活動していくことによって、成されていくと思います。