La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

ライフワークという言葉に明確な定義はない

ライフワークと言う言葉があるが、どういう状態になれば、これがライフワークだ!と呼べるような明確な定義があるわけではないと思う。それはその人の感じ方によって変わるから。

 

Aさんは心から充足感を味わっていて、今やってる自分の仕事がこれこそライフワークだとほんとに思っているかもしれない。一方でBさんは心で感じると言うよりも頭で考えてこれは自分のライフワークなんだと勝手に思い込んでいるだけかもしれない。

 

ライフワークの定義を作るとして、強いて言うならば、頭ではなく心が満たされること、心が穏やかになること、安心感があること、といったところかなと思う。

 

私たちが生まれる前に、この人生ではこんなことがしたい!とかこういう感情を味わいたい!と言うふうにハートを輝かせて人生設計をしてくるのだと思う。

 

その時のハートの感覚が表面意識では忘れているが、潜在意識レベルではきちんと覚えていて、それがこの物理的な次元では、私たちの心臓のあたりの感覚、例えば高揚感や穏やかさとして現れてくる。

 

ライフワーク探しの旅人は、ライフワークが見つかれば幸せになれると思っている人もいると思うが、ライフワークを見つけたから幸せなのではなくて、幸せかどうかは自分で決めることができると思う。

 

今自分がやっている仕事や活動に幸せを見出せるか、死ぬ間際にそれまでの人生を振り返って、あー幸せな人生だったなと思えるかどうか。それはライフワークを見つけたかどうかには関係ないと思う。どうすれば幸せだったと思えるか。それは結局自分がどこで満足するか、何に幸せを見いだすかということに等しい。

 

初めから、『幸せとはこういうもの』と言う答えが用意されてるわけじゃなくて、人生を過ごしながら、幸せとはなんだろうか、どういう風に生きたら幸せだろうか、どんな気持ちを味わえたら幸せだろうか、辛さとは何か、痛みとは何か・・というような様々な可能性があるだけだと思う。

 

私達が生まれてきたのは、初めから用意されている答えを見つけることが目的なのではなくて、単に人生の色んな可能性を探ることが目的なのではないだろうか?

 

そういう意味で、答えを見つけようとすると中々わからなくなって困ってしまう。理想の高い人ほど自分にとって最善の答えを見つけようと生涯考え続けてしまうのだ。

 

たとえ満足できない人生であったとしても、それはそれで1つの可能性を探ることができたわけで、良い悪いと言う判断はできないのだと思う。幸せだろうが、苦労しようが、何を体験しようともそれ自体に意味は無いのではないだろうか?

 

幸せなら良くて、不幸せなら悪いと言うのは、人生は1度きりであると言う考え方から生じるものだ。しかし、私たちの本質が意識や魂であるという前提で考えると、本来の意味では、すべての出来事は、幸せであると言えるのではないだろうか?

 

でも私は、理想を追い求めるのが好きだから、どうしても、自分にとっての答えを見つけたくなってしまう。それもまた、自分色の人生だと思う。