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La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

空白期間は別にネガティブではないと思う

ニート時代の話

人生の空白期間に引け目を感じる必要は無いということについて考えてみましょう。ここでお話する空白期間とは、私が体験したようなニートや引きこもりの期間のことです。

 

皆さんは『ニート』と聞いてどんな印象を受けるでしょうか。どんな感情が湧いてきますか? 同様に『引きこもり』という言葉はどうでしょう?

 

何となく『ネガティブ』に感じる人が多いのではないでしょうか。しかし、少し考えてみれば、それは単なる思い込みであることが分かると思います。そもそもニートや引きこもりという言葉自体が、ネガティブな意味合いを持っていますよね。

 

ニートというのは、簡単に言えば何もせず、収入も生まない人です。こう捉えると、確かにネガティブな印象は受けます。しかし、『使えるお金は少ないが、自分の時間を割と自由に使える人』と捉えるとどうでしょう。収入がないので完全な自由人とはいきませんが、そこまでネガティブな印象は受けないのではないでしょうか。ニート自身がその生活を楽しんでいれば、そこに否定的な要素は無くなります。

 

引きこもりについてはどうでしょう。私は引きこもりと言うと、カーテンを閉めた部屋の中でうずくまっているイメージが浮かびます。でも、これが既にステレオタイプに毒されていることに気づきます。引きこもっていることは見方を変えれば、ある場所にこもって何かに没頭しているという見方も出来ます。研究者タイプですね。こう捉えると、大分イメージが変わるのではないでしょうか。

 

もちろん、私の言っていることはちょっと捻くれているかもしれません(笑)。

 

いずれにしても、空白期間をネガティブに捉えるのは一部の人達です。特に、一般的な会社に就職しようとすると、空白期間が長くなるほど、ネガティブに見られると思います。

 

なぜそう捉えられるかと言えば、多分、長期間ゆったりペースの生活をしていた人が、ハードワーク中心の仕事を続けられるかが分からないからでしょう。また、同等の企業で何年か働いた『実績』や成し遂げた何らかの『成果』が無ければ、その人が会社で求められる仕事をこなせるかが判断できないからでしょう。

 

ただ、自分だけはもっと自信をもって良いと思います。自分が、空白期間をネガティブに捉えていれば、職務経歴書の内容も、面接でお話することも、ネガティブになってしまうからです。

 

私はこれまでいくつもの面接を受けてきましたが、今のところ『普通の会社』の面接にはことごとく失敗しています。自分なりに要因を考えてみたところ、ひとつ考えられるのは、私が空白期間をネガティブに捉えていたことがあると思います。

 

もしかしたら、面接官は空白期間に対して寛容な姿勢をもっていたかもしれないけれど、候補者の自信の無い態度を目の当たりにして、採用を見送った・・ということもあるかもしれません。相手がどう思うかを気にしすぎるのは、実は、自分の思い込みを強化することと同じです。自分で自分の首を絞めているのです。

 

私は2~3年もの空白期間、確かに何もしていませんでした。アルバイトもしていなかった。でもある時、転職エージェントの方に言われたのです。『空白期間は本当に何もしていなかったのですか? 仕事以外でも何か活動していたことがあれば、職務経歴書に加えた方がいいでしょう。』

 

そこで私はセミナーを受けたことや読書やインターネットを通じて精神世界を探求したことなどを書き、いくつかの採用面接に使用しました。面接でも、空白期間をネガティブに捉えていないこと、そして色々な活動をしていたことなどをお話しました。でも何度も失敗しました。

 

自分ではネガティブに捉えていないことを熱弁しましたが、心のどこかではネガティブに捉えていたのでしょう。それが態度に表れてしまったのだと思います。また、人にもよりますが、『精神世界』や『哲学』などと言うと、どこか壁を感じてしまうものです。ちょっと宗教的というか・・・一般的にそういう事を真剣に考える人は少ないのかな・・という印象を受けました。

 

なので、あまりそういう話を前面に押し出す必要もないのかなと思います。私の場合は遠慮なくバンバン押し出していますけれどね(笑)。

 

もし、自分の話を受け入れてもらえなくても、『ああ、この会社にはこういう話は通じないんだな』で良いと思います。それで終わりです。サクッと次に行きましょう。

 

私は何もしていなくても別にいいと思っています。何もしていないのではなく、『何もしないこと』を選択しているのです(笑)  誰かのお世話になろうと、その恩恵で生きてこられたことは、素晴らしいことだと思うからです。感謝の気持ちも生まれています。生きていることには変わりありません。それだけで十分すぎるほど幸せだと思います。

 

この肉体が生きていようが死んでいようが、私たちの命である『この世界(存在)』が消滅することはありえません、多分。私たちが『死』と認識しているものは『肉体の死』であり、私たちの意識、つまり存在そのものが死ぬことはありません。

 

仮に、頼れる家族がいなくなって、自分一人になったとしても、精一杯生きるだけです。失敗して死んでしまったとしても、それで良いと思っています。今生の『自分という人格』は消えて無くなるかもしれませんが、私たちの存在そのものは形を変えて存在し続けると思っているからです。だからこそ、好きな仕事をすることに挑戦し続けようと思うのです。

 

何事も自分の力だけで実現しようとしても、限界があります。考えてみれば、何をするにも誰かの協力は必要です。であれば、人の助けを素直に受け取ることを自分に許すこともできると思うのです。多くの人の力を借りた方が、物事は簡単に実現します。

 

全部自分の力で解決するのをやめて、人の助けを借りながら、自分は自分の最も得意な部分に注力すると良いと思います。全部自分の力でやるという学びもあれば、人の助けを上手く借りて、自分のやりたいことをより簡単に実現していくという学びがあっても良いはずです。単に選択の問題だと思います。

 

誰かの協力を取り付けることが出来る人はそれなりに魅力的な人だと思います。魅力的な人だからこそ、協力したいと思うからです。魅力的な人になるには、生き生き輝いていることがポイントです。その為にやはり『好き』や『ワクワク』を追い求めることが必要になってくるのです。

 

私は、現在自分が人のお世話になっている境遇だからこそ、他人に対して厳しい社会は好きになれません。私はそういう生き方はしたくないと思っています。優しすぎるのでも、厳しすぎるのでもなく、バランスが大事です。

 

働き方の選択肢も、『就職』以外にもたくさんあります。就職するにしても、業界はたくさんあります。狙える的はたくさんあるのに、私たちはごく一部の的しか見えていないのだと思います。 

 

仮に就職できたとしても、その先はどうなるのでしょう。就職した翌月に会社が潰れるかもしれません。何もしないでボーっとしているのも危険ですが、就職することだけに執着し、とりあえず就職すれば安心という考え方も同じくらい危険だと思います。

 

長々と書きましたが、今日お話したかったことは『空白期間は別にネガティブでも何でもない』『もっと自信をもって良い』『もっと人生を楽しんで良い』『人生は厳しくてもいいし、簡単でもいい』ということでした。あくまでも個人的な意見ですけれどね。

 

私自身も、こんな記事を書いている時点で、まだ空白期間をネガティブに捉えているのかもしれません。なぜなら、1%たりともネガティブに思っていないのなら、こんなことを考えることすらないからです。自分を正当化する必要がなくなるのです。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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