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La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

大阪の思い出

社会人一年目の秋、私は大阪で2ヶ月半暮らした事があります。私はモノ作りの会社に技術者として入社したのですが、会社の製品を家電量販店で販売するという毎年恒例の研修で、大阪に派遣されたのでした。21歳の頃の話です。

 

私が派遣されたのは、大阪の日本橋という街です。でんでんタウンという名の電気街がある場所です。千日前線日本橋駅か堺筋線恵美須町駅が最寄り駅でした。すぐ近くには新世界や通天閣があり、まさに大阪という場所でした。さて、今回お話するのは、楽しかった大阪の思い出ではなく、辛かった思い出です(笑) 長文になります。

 

当時の私は人とコミュニケーションを取る事に障害がありました。感受性が強く、人見知りが激しく、人の目が極度に気になる、自分の意見がはっきり言えないなどの特徴がありました。まず人の目を見て会話をする事が出来ませんでした。もちろん接客の経験もありませんでした。

 

そんな私が、いきなり販売のお仕事に派遣されたのです。さらにコミュニケーションスキルの平均値が高い?大阪のど真ん中に放り出されたのですよ。どうなったか、賢明な読者の方は察しが付くのではないでしょうか?

 

さて、私は大阪に派遣される前、職場で一通のメールを受け取っていました。差出人は、Uさんという方で、私の前年に、大阪の同じお店に派遣されたという方でした。Uさんはご丁寧にも、仕事に役立つ情報を教えてくださいました。氏のおかげで、私は店員の方々の性格やお店で流れている音楽に始まり、近場のリラックススポットまでを事前に知る事が出来たのでした。

 

やがて大阪入りした私は、担当営業のTさんと一緒に、派遣先のお店に挨拶に伺いました。途中、恵美須町駅の階段を上がったすぐ隣にあった、ジャズ音楽が流れているお好み焼き屋さんでお好み焼き定食を食べたのが思い出です。大阪ではお好み焼き定食というと、お好み焼きの他にご飯と味噌汁が付いてきます。他にも焼きそば定食というのもあり、これも焼きそば+ご飯が付いてきます。お腹一杯になるのですが、案外この組み合わせは合っていました。

 

さて、お店で働き始めた私は、分からないことだらけでした。まず、大きな声で『いらっしゃいませー!』が言えませんでした。私は自社製品の知識は勉強していますが、それ以外の事は知りません。でも、お店に来てくださるお客さんは、私を店員だと思って話しかけてきます。テレビどこ? DVDどこ? ファックスのリボンってこれでいいの? この近くで喫茶店知らない? など担当以外の知識も勉強しなければならず、かなり大変でした。

 

当時の私にとってお客さんと会話することはプレッシャー以外の何物でもありませんでした。会話に粗相があっては許されないという気持ちが強かったのです。今思えばもっと気楽に会話できればよかったのですが。というのも、仮に分からない事があっても、『担当に聞いて参りますので少々お待ち頂けますか?』と笑顔で答えるのと、焦り顔で『ええっと、少々お待ちください』と答えるのとでは前者の方が印象が良いからです。

 

ただ、他の店員さんもそれぞれの持ち場があるので、あまり気軽に頼れる雰囲気ではありませんでした。その為、自分の勉強が追い付かず、さらに他の店員にも頼れない時は辛かったです。でもそういう職場では、自分がしっかりするしかないんですよね。でも一番いけないのはその場を放り出すことだと思います。当時の自分はどうしようもなくて投げやりになった事もありましたね。

 

ある時、忙しすぎて一杯一杯になっている時に、お客さんに呼び止められたのですが、その時、つい『すみません、今忙しくて・・・』と苦し紛れに言ってしまったことがありました。案の定お客さんは『忙しいのは分かるけど、こっちも客やねん』と半分キレ気味で言われたこともありました。ごもっともです。でも当時は並列で作業をこなすことが苦手で、すぐにショートしてしまう自分がいました。

 

仮に今の自分ならどうするでしょう。分からない事があったら、やはり恥を捨てて分かる人に聞くしかないと思います。だってお客さんをそのまま帰すわけにはいかないから。お客さんの意向に100%沿う事は出来なくても、誠意を尽くすことは大事だと思います。

 

自分で調べられる道具があるなら、調べてお客さんに教えるとか、一緒に探すとか、カタログを見て自分なりの提案をしてみるとか、どうしても手が回らないなら丁寧に謝ってお待ちいただくとか、お客さんを不快にさせない心配りは出来るはずです。当時の自分もそこまで考えて行動できていれば、店員やお客さんを困らせることも少なかったでしょう。私には誠意が足りなかったのだと思います。

 

販売の業務ではいろんな事を教えて頂きました。例えば、自分が売った製品の箱をお客さんがお持ち帰り出来るようにバンドで縛って、持ち手を付ける作業や、倉庫から代車で在庫を運ぶ時の段差の乗り越え方、挨拶の仕方、値切り交渉の仕方などです。

 

大阪ではお客さんが当たり前のように値切り交渉をしてきます。お店の決まりで、値下げ額が決まっていて、その範囲で交渉したものでした。まさに商人の街といった印象を受けました。

 

私がいたフロアには、他社の販売員さんも数名いましたが、私は一番新米だった事もあり、仕事では大変お世話になりました。他社のベテラン販売員であるNさんという方は、販売だけでなくレジの仕事などお店の仕事もこなす事ができる強者でした。また他社販売員のOさんは販売の仕事以外にも居酒屋のプロデュースの仕事を手掛けた事があるらしく、松本の○○っていう居酒屋に関わっていた話もされていました。また、私と同じ会社の販売員であるTさんという方にもお世話になりました。店員さんも販売員さんも、いろんな人がいましたね。

 

お店にはフロア長と呼ばれるその売り場の責任者がいるのですが、その方が怖かった。いつもピリピリしている方で、店員の方もプレッシャーをかけられて大変そうでした。その方がいるとその場がビシっー!となる感じでした。販売の成績が芳しくなかった私は案の定目を付けられ、叱咤される事も度々でした。

 

人間は不思議なもので、相手の性格によって、振舞いがある程度左右されてしまうのですね。例えば、いつもピリピリして威圧感のある人と一緒にいると、なぜか一方は委縮してしまうのです。感受性の強い人ほど相手の性格に影響を受ける傾向があります。

 

当時の私がまさにこの状態でした。Mさん(フロア長)は確かに怖い部分もあるけれど、そればかりに意識が向いた所為で、自分の中でその人が益々怖い人になってしまったのです。

 

ある時、担当以外の事を他の店員に任せて、自分はその場を去ろうとした時に、『○○(私)! 何で○○さん(店員)の後ろに付いて説明聞かんのや?』と怒鳴られたり、倉庫で在庫の整理をしていた時、『持ち場に戻れや! 職場放棄やないか!』と怒鳴られたり、『お前には覇気がない!』と言われたり。確かに私に非がある部分もありますが・・当時は怒鳴られないようにするだけで精一杯でした。

 

しかしMさんは厳しい中にも優しさがありました。今思えば、部外者である私のダメな部分を真剣に叱ってくれたのですから、感謝の気持ちが湧いてきます。

 

他にもいくつか印象に残っている言葉があります。

 

『同じ仕事をな、2時間でやる奴と30分でやる奴がおるとするやろ? 2時間でやる奴はいらんのや』

『お前がもし俺の息子やったらなあ、まずは大きな声で挨拶せえと言うな』

『○○(私)、お前はニヒルな奴やな』

『インターネットで家電注文してな。そしたら、俺が送ってやるで』

『お前は他の能力で採用されたかもしれへんけどな、もし俺の部下やったらクビや』

『ええか、仕事出来ない奴というレッテルを張られたらおしまいや。ええか、レッテルやで? レッテルってのは簡単に剥がされへんのや』

 

同期入社の社員が自社製品をたくさん売った話やお店の人と仲良くやっている話を聞いて、自分だけ疎外感を覚えたものでした。

 

兎に角、他の人には自然に出来たことも、私には出来ませんでした。本当に不器用で世間知らずでドジでした。思えば、この研修で大きく社会人としての出鼻をくじかれたのです。担当営業のTさんにも『そんな仕事のやり方じゃあ長野に戻ってからの仕事にも差し障るよ』と言われたのですが、その通りになりましたね。

 

でもね、今思えば、もっと自信をもてば上手く出来たと言う事です。自信があれば仕事が楽しくなるし、仕事も早く身に着くものだからです。失敗して委縮してしまうと、自発的な姿勢が失われてしまい、仕事が上手く出来ないスパイラルに陥るのです。

 

元々コミュニケーションが苦手で、他人の性格によって自分の性格を左右されやすい私にとっては、大阪での仕事は試練と呼ぶにふさわしいものでした。どうして私みたいなコミュニケーションスキルの乏しい人間に、私とは対極的なすごく厳しい人を組み合わせるの?と思った事もあります。でも、精神世界の観点でみれば、これも予定されていた事だったと思います。しんどかったけど、その分成長出来たからです。

 

派遣期間終了後、同じフロアの販売員の方々と一緒に新世界でフグ料理を食べた時、販売員のNさんから『最初に比べたら、ちょっとは人間らしくなったやん。人の目見て話せるようになったし!』と褒められた?のを覚えています。

 

荷支度を終えて長野に帰る直前、急に具合が悪くなって病院に駆け込むトラブルがありました。病院の場所が分からないので、タクシーの運転手さんに連れて行ってもらいました。今思えば、最後の最後で溜まっていた疲れがどっと押し寄せたのかもしれないですね。通天閣を見に行こうと思っていただけに、残念でした。

 

研修を終えた時、緊張から解放された安堵感が半分、もうちょっと続けてみたかった気持ちが半分ありました。

 

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住んでいた7階の部屋からの眺め

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大阪城天守閣からの通天閣

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JRの新快速に乗って良く晩秋の京都に遊びに行きました

 

長文読んでいただき、ありがとうございます!

 

~後書き~

今年の大河で真田丸が放送されていますが、大阪で働いていた職場のすぐ近くに安居神社という真田信繁公最期の地があった事を最近知りました。私が住んでいた浪速区下寺の辺りも大阪の陣では戦場になったようですね。また私の母方の祖父母の家は旧岩城町の亀田にあり、ここは真田家とも縁のある場所です。さらに長野県に6年間暮らし、その間上田城にも一度だけ行った事がありました。何かしらの縁を感じますね(笑)。

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