La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

どん底だったエンジニア時代の話 パート01 〜 怒られまくった日々

私は社会人になって始めて入社した会社では、全般的に仕事が出来ず、周囲からも成長しろ!と言われる事が多かったのですが、そんなサラリーマン生活の中で精神的に最も辛く、ダークな時期がありました。今日は当時を振り返りたいと思います。

 

入社して2年目の夏頃、上司と先輩が入れ替わったのですが、思えばその辺りから試練が始まりました。その頃、新製品の開発が立ち上がり、私もプロジェクトの一担当を任される事になったのです。私の仕事は主に試作品の評価をして製品を作りこんでいく仕事でした。

 

とはいえ、それまで先輩に付いて回るだけだったので、何をどうすればよいのか、さっぱりわかりませんでした。当時の私は、担当を任されたという嬉しさよりも、上手くこなさなければならないという不安の方が上回っていました。自分で考えると言う事が余り出来なかったと思います。

 

職場では定期的に連絡会が開かれ、自分の担当している項目について進捗を報告するのですが、まずそこでの発言に突っ込まれまくりでした。というのも、仕事をどう進めて良いかわからなかったので、計画性の無い仕事をしていたのです。自分が主担当という自覚が足りませんでした。どこかで先輩が助けてくれる、誰かがやるだろうという気持ちがあったと思います。

 

受身な姿勢がダメでした。今なら、責任は重いけれど担当を任されるというのは、自分のやりたいように出来るということだから、俄然やる気が湧いてきます。まずは、自分のやりたいように計画を立て、日々の業務を楽しんでみよう、作成する資料や文書にも自分なりの工夫を加えてみよう、皆と協力してよい製品づくりをしよう・・そういう前向きな気持ちが湧いてきます。

 

当時の私はびっくりするくらい臆病でした。当時は先輩や上司によく尻拭いをさせてしまったと思います。意思疎通が上手く取れなかったので、進捗度合の共有が出来ていませんでした。ある時、私の担当項目の中で重要な事が何一つできていない事が発覚して、先輩に大きな負担を掛けてしまった事がありました。

 

今思えば、『なんでそうなるの』なのですが、当時は自分の担当項目が何なのか、それがどれだけ重要なのかも良く理解していなかったと思います。意思疎通が苦手な私は、不明点を上手く伝える事が出来ないまま、時間が流れてしまったのです。

 

今思えば、右も左もさっぱり分からないなら、素直に『さっぱり分からないので説明して貰えますか』と聞けばいいと分かりますが、当時はなぜかそれができませんでした。

 

多分、『何もわからない』というと、叱られるんじゃないかとか、ダメな奴だと思われるのではないかという怖れがあったのだと思います。先輩や上司の顔色を窺う事ばかりで、本当に情けない人間だったと思います。その癖プライドは高い。

 

兎に角、意思疎通が上手く出来ませんでした。ある時、年配社員の方にこう言われました。『○○君(私)、君がなんで怒られるか分かるかい? 会話のキャッチボールが上手くできていねーだよ。だから相手もイライラするだよ』

 

確かにその通りだと思います。思えば当時の私は自分の意見をはっきり話す事が出来ませんでした。先輩には『○○(私)!自己主張しろ!自己主張!』と良く言われていました。

 

当時は会社に怒られる為に行っているといっても過言ではありませんでした。実際に同僚の方から『いいで、怒られて給料貰ってるんだから』と皮肉?を言われた事もありました。

 

最初は報連相が出来なかったり、納期に遅れたりした事で叱られたのですが、一度突っ込まれたり、叱られたりすると、今度は『叱られないように』する事ばかりに意識が向いてしまい、ダメな点を改善し、もっと良い仕事に繋げようとする前向きな感情ではなく、『また叱られたらどうしよう』という後ろ向きな感情が勝ってしまいました。

 

その結果、ますます仕事ができなくなって行きました。連絡会なども次第に毎回怒鳴られるようになりました。今思えば、簡単な仕事でさえも、なぜか納期を守れず、毎回怒鳴られるという負のスパイラルに陥ったのです。

 

自分でもわかっていたはずなのに、行動が出来ませんでした。叱られてもその場を凌ぐだけで、また約束が守れなくて怒鳴られる。本当に負のスパイラルでした。

 

余りにも納期を守れないので、『信用できない!』などと、皆の前で怒鳴られたり、『君は何をして給料を貰ってるの?』と言われたりして、もう私の心はズタズタでした。プライドもへったくれも無かったです。

 

今思えば、相手にそこまで言わせてしまう自分も自分でしたね。その頃、先輩に、『○○君は落ちるところまで落ちたのだから、もう這い上がるだけ!』と製品の梱包箱に図を書いて励まされたのを覚えています。

 

でも、自分ではどうしようもできなかったのです。本当にどうしようもない事で怒鳴られていました。連絡会も個室ではなく周りにも話し声が聞こえるスペースで行われる事が多かったので、私が毎回怒鳴られていることは周知の事実でした。

 

そんな自分が恥ずかしくて、周りには取り繕った振舞いをする事しか出来ませんでした。恥ずかしさ、情けなさ、不甲斐なさ、いろんな感情が私の中には渦巻いていて、益々ハートを閉じて行く事になりました。

 

その内、自分の感性に蓋をしてしまったのか、叱られてもなにも感じないようになって行きました。でも、余程辛かったのか、正月に実家に帰省した際、芋焼酎をストレートで飲みながら、母親の前で不覚にも泣いてしまった事もありました。

 

当時の私は家族に対しても100%自分をさらけ出す事が出来ませんでしたが、この時ばかりは涙を堪えることが出来ませんでした。しかしながらこの出来事も、自分をオープンにする良いきっかけになったと思います。

 

さて、ダークは話はまだ続きます(笑)。正月明けからも地獄の日々は容赦なく私を待っていました。その頃私は、製品に使われる新技術の開発段階に入り込み、情報収集やその後の自職場での業務に向けた準備をする目的で、設計開発の部署とやりとりをするよう命じられていました。同時にその技術をテーマとして『論文』を書きなさいとも言われていました。

 

ただ、毎日怒られて委縮しきっていた私は、ますますネガティブなスパイラルを引き起こしてしまったのです。職場にも寄りますが、設計や開発の部署は能力主義が強い職場です。

 

私を教えてくれる担当の方も、私が使えない事が分かると、段々と疎ましく思うようになったと思います。とうとう私の上司に直接『お断りの申し入れ』をされていまいました。

 

私もその方に空気の読めない発言をした事もありました。例えば、開発に入り込めと言われても何をすればよいのかさっぱりわかりません。そこで私は、開発の担当の方に『何かすることはありませんか?』と聞いてしまったのです。その一言で担当の方が怒り、私の職場のリーダーや上司に事の次第を報告されたこともありました。

 

確かに、こちらからお願いして入りこませて貰っているのだから、自発的な姿勢が足りない!となるのですが、そんなに怒らなくても・・・同じ会社なわけだし。ともかく、仕事の厳しさを思い知った一件でした。当時は私だけでなく、リーダーや先輩も私の事で大分参っていたと思います。もう段々と無茶ぶりをされるようになっていました。

 

例えば、朝の連絡会が各職場であるのですが、自分の職場には出なくていいから、その職場行って、気合いのあるところを見せろ!とか、ちょっと体育会系なノリでしたね。

 

さて、こうして思い出すと、今でも、身体がちょっと強張るし、胃や腸の辺りがキューっとなります。それだけ当時は辛かったのでしょう。

 

以前キネシオロジーを使って、当時のネガティブな経験がトラウマになっていないか、試したことがあるのですが、その時は、腕の力は入ったまま、つまりトラウマにはなっていないことが分かり、ホッとしたのを覚えています。

 

当時は安らぎを得る為にお酒に頼っていました。出社する⇒仕事をする⇒怒鳴られる⇒帰宅⇒酒盛り⇒ちょっと二日酔い⇒出社⇒・・・というサイクルで、もうどうしようもありませんでした。

 

でも、辛いことはそう長くは続きませんでした。入社4年目の春、私はとうとう職場移動となり、仕事で最もダークな時期に終止符が打たれたのでした。簡単に言えば、私が使えないので捨てられたわけですが、今思えば、いろんな人が助けてくれたのだと思います。よくお世話になった先輩が一人いらっしゃるのですが、その方がどうも尽力してくださったようなのです。

 

私が入社し立ての頃から何かとお世話になった、とても頼りがいがあって、男気溢れる優しい先輩でした。思えばいろんな人にお世話になりました。さて次回は、当時の仕事や人間関係を、精神世界の観点も交え、振り返ってみたいと思います。

 

初め、勢いに任せてこの記事を書きあげましたが、果たしてこんな内容、投稿しても良いものなのか、迷いがあり、下書きのままにしておきました。しかし、当時のネガティブな体験も、私という人間を構成するピースのひとつには違いないので、公開することにしました。

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上高地にて。2009年9月。当時は長野県に住んでいました。服装も髪型もダサいですね(苦笑)

 

長文読んでいただき、ありがとうございます!