人は出来るだけ辛い体験や苦しい思いをしたくないと思いますよね。でも、それも時と場合によるかなと思います。
私のようなマンネリな生活を送っていると、心が委縮するような体験ですら、ありがたいと感じる事もあります。
リスクは無いが刺激のない毎日。そんな生活は人の心から潤いを奪ってしまいます。心が輝いてこそ、生きていると実感することができます。乾いた心のまま生きていても、それこそ『何の為に生きているのか』という疑問が湧いてきます。
心が乾ききった状態で、たまに心が震えるような体験をすると、『自分はこれまで一体何をやっていたんだ!』『なんて無味乾燥な時間を過ごしてしまったのだろう』と愕然とします。それまで当たり前だと思っていた日常が急に色褪せて見えてきます。
よく、ワクワクすることが、人生の近道であると言われますが、この意味を考えてみます。この場合、ワクワクの種類には大きく分けて3種類あると思います。
一番目は文字通り心が高揚するようなワクワク感。
二番目は心の平穏、安らぎ。
三番目は辛いことを体験した時に湧いてくる感情。
現在の私にはこの三つ目のワクワクが足りていない気がします。辛いことを体験するのは苦しいけれど、そういう感情を味わうからこそ見えてくるものがあります。それは『優しさ』や『慈愛』です。自分が辛いからこそ、他人に対して優しい気持ちを持てるようになるものです。辛い体験は『優しさ』について学ぶ良き機会だと思います。
一番と二番のワクワクを味わうことによっても人の魂は輝きますが、そこに三番目のワクワクが加わると魂はもっと輝きます。
自分の場合は特に、三番目のワクワクによって、本来の自分らしさが輝きを放つ気がします。
魂が求めているのは心の栄養だと思います。その為に、時にはスパイスが必要になるのだと思います。
上記を踏まえ、私なりにワクワクの定義をすれば、それは『心が震えること』だと思います。
何かに直面した時、ポジティブであれネガティブであれ、心のメータが勢いよく振れることこそ、魂が求めている生き方。私たちは、もっとそういうものを探し求めなくてはいけないのかもしれません。でなきゃ私の場合、何の為に生きているのかわからなくなり、人生が無意味に思えてきます。
上に挙げた3つのワクワクがバランスしてこそ、本当の意味でのワクワク人生を送ることができると思います。
思考偏重になるとそういう心の感覚が分からなくなってしまうから、あまり難しく考えずに心が震える方向に進めば良いのだと思います。まずはじめに感性(ハート)ありきで、知性(思考)はそれを手助けするポジションがちょうどよいのかもしれません。
人にはちゃんと人生の道しるべが備わっていて、それが心が震えること(ハートの感覚)だと思います。
ただ生きながらえる為に生きているんじゃない。心の震える感覚を味わう為に生きている。毎日を惰性で生きていると、こんな大事なことを忘れてしまいますが、私たちがこの世界でやりたいことの重要なエッセンスは、こういうところにあるのではないでしょうか?