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La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

存在と無

哲学的な話

さて、タイトルからして堅苦しそうなテーマですが、今日は、このテーマについて考えてみたいと思います。

 

みなさんは『この世界がどうしてこんな形で存在しているのだろう?』と考えた事はありますか?

 

或いは『どうして何かが存在しているのだろう?』と考えた事はありますか?

 

輪廻転生が真実という前提で考えると、私たちの意識は死後も永続する事になります。私たちは幾度も生まれ変わりながら、宇宙のいろんな側面を探る旅をしているのだと思います。

 

ですが、その旅の先にあるものは何なのだろうという事なのです。

 

死して無に帰するという考え方がありますが、この事についてちょっと考えてみましょう。

 

まず、既に何かが存在している世界においては、無と言う概念は考えにくくなります。

 

単純に考えて、死んだとき無に帰するとしたら、私たちの意識は途絶え、何も認識できなくなりますが、私たちの肉体を除いた世界は存在し続けることになります。

 

でも、ちょっと想像してみてください。何も認識できない状態って、考えられないと思いませんか?

 

死んで無に帰するとしたら、最初から何かが存在する必要性がないとも思えます。

 

無という概念は、有という概念を生む余地すらありません。そもそも何も無いからです。何も無いのでそれを認識する事もできません。そうすると、有と無の世界を相互に行き来する事は出来ないのではないかと思えてきます。

 

この世界においては、無という概念そのものがあり得ないものになります。なぜなら『既に何かが在る』からです。『この世界』という言葉が登場する時点で、何かがある事が前提になっています。

 

人間の死後に、『この世界という有』と、『死を迎えた私たちという無』の2つの世界が生まれ、それが同時に存在するなんて、あり得ないのでは?と思えてきます。

 

そもそも、無は何も存在しないのだから、無の世界が生まれるという表現も相応しくないのかもしれません。 

 

そう考えると、死んで無になる事はあり得なくて、『私たちの意識はやっぱりこの世界と一体なのではないか』とも思えてきます。

 

この世界を観察する視点が無ければ、この世界も存在し得ないとも思えてきます。

 

量子力学の分野でも、観察する意識が事象に影響を与えると言われますね。

 

私たちの意識が存在し続けるとしましょう。すると、嬉しい半面、この世界って一体何なのだろう?という疑問や行き詰まり感も湧いてきます。

 

冒頭の『どうして世界はこんな形で存在しているのだろう?』『なぜ何かが無ければならないの?』という答えようのない疑問が湧いてきます。

 

でも、何も無い世界はあり得ないし、そうなると、やっぱり何かが存在するしかないのか・・・などいろんな思いが湧いてきます(笑)。

 

物理的な宇宙空間は良く出来ていると思います。銀河系があって、太陽系があって、地球があって、生物が生きられるシステムが上手くお膳立てされているからです。これは考えてみれば、かなり不思議なことです。

 

私は子供の頃、自分って何だろう?と考える事がありました。

 

例えば、 

 

私は私だ。でも、私だと思っている私はどこから出てくるのだろう? 私を客観的に眺めると、何だか私が私じゃないような気持ちになり、不思議というか、もどかしい感覚になったのを覚えています(笑)

 

私たちが自分だと思っているのは自我であり、自我は創られた人格です。自分はこういう人間だと思い込んで、その人格を演じているのです。

 

でも、 その人格を観察しているもう一人の私もいる気がします。

 

さて、今日はこの辺にしておきましょう。

 

堅苦しい話に付き合っていただき、ありがとうございます。

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