La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

与えることと与えられること

大人は与える側、

子供は与えてもらう側、

と言われます。

 

私は現在家族のお世話になって生活しているので『子供』の側に入ると思います。

 

以前私は自分で働いて生活していた頃もありましたが、会社や世の中に依存していたので『子供』と言っても良かったでしょう。辞めた原因が『つまらない』というネガティブな理由だった事からもそれがわかります。

 

世の中には、若い頃からしっかりした考えを持ち、与える側に回る人もいれば、年老いても尚、世の中に依存して、与えられる側に回る人もいます。

 

ただ、どちらが良いか悪いかではないと思います。

 

人生では、与えられる一方の時期があれば、与える一方の時期もあります。ただ、人によって時期の違いがあるだけです。

 

壮年や老年になっても、親や社会に依存しているのは見苦しくもありますが、実はそれも固定観念なのかもしれません。

 

世の中全体で見た時、結局は与える人と与えられる人のバランスが取れていると思うからです。

 

そうすると、その人のレベルにあった学びをこなせばそれで良いのだと思います。

 

人間には肉体年齢と魂年齢があります。魂年齢が上の人は与える事にも喜びを感じるだろうし、魂年齢が若い人はまだ与えられたいと思うかもしれない、このような見方も出来ます

 

このように広い視点で考えると、寛容さが生まれるのではないかと思います。

 

どちらが良いという事ではなく、単に違いがあるだけであり、個人の人生体験には皆等しく価値があるとすると、他人の生き方を尊重し、自分は自分の道を行くという姿勢が望ましいかなと思います。

 

そういう意味で、今現在ニートや無職だったとしても、そんなに否定的に捉える必要はないと思うのです。

 

もし与えてもらう事ばかりにしか意識が向かなかったとしても、その時はそのようにしか考えられないから仕方がないのです。いずれベストなタイミングで成長する時がやってきます。

 

人間社会では兎に角ひとつのモノサシ(価値観)で人間を量ろうとしますが、それが様々な苦しみを生む原因になっています。

 

一口にニートや無職と言っても、いろんな人がいると思います。

 

働いて世の中に恩返ししたり、新しい事を世の中に表現していこうと燃えている人もたくさんいます。仮に何年もニートをやったとしても、今現在就職活動したり、起業に向けて行動しているならば、もうニートではありません。自発的に働こうという姿勢がある証拠です。

 

他人がどう思うかは分かりませんが、空白期間がある事に偏見を持ったり、それをハンディキャップと捉える必要もないと思います。

 

ニートの私がこんな記事を書いても説得力に欠けるだろうし、結局は自分を正当化したいだけなのかもしれません。御託を並べた所で誰かが助けてくれるわけでもありません。

 

ニート・無職・自立というテーマについて、もう幾つも記事を出しているけれど、未だ明確な答えは見つかりません。

 

ただ、答えを見つけようとすると、どうしても、善悪や正邪を決めつける方向に行ってしまい、物事の本質からずれてしまいます。なぜなら、究極的には、物事は二元では量れないと思うからです。

 

また、何が正しくて何が間違っているかを考えだすと、キリがありません。完璧に正しく生きることは不可能です。自分が正しいと思っていることも、人が違えば、間違いにもなります。

 

私たちがいまここに存在しているのは、ありとあらゆる体験をする為という考えを採用すると、罪悪感を味わったとしても、誰かを苦しめたとしても、その体験自体に価値があるという見方が出来ます。

 

例え過ちを犯しても、その体験から学ぶべきことを学び、体験に感謝し、前に進んでいけば良いのだと思います。

 

私は、精神的にも物質的にも自立する事は大事だけど、私と同じような立場の人達が、そんなに自分を卑下する事もないのではないかと思って、こんな事を考えています。

 

人と比較するのを少し緩めて、前向きな姿勢を持つこと。自分のペースで、やりたいことを見つけ、それを世の中に与える方法を考えていけばいいのだと思います。

 

自分も早く与える側の人間になりたい。

 

読んでいただいてありがとうございます!

 

追記

ニートを悪と捉える事もできるし、良いと捉える事もできます。単に自分がどちらを選択するかの問題です。悪いと捉えれば、苦しみを味わうだろうし、良いと捉えれば、前向きに生きられるというだけです。

 

考えてみれば、与えられた状況には、最初全く意味づけがなされておらず、私たちがその状況にどんな意味を与えるかによって、体験出来る事が変わるわけです。

 

そして、どんな意味を与えるのかは個人の裁量に任されています。

 

そういう意味で、世の中を良い悪いのモノサシで見るのをやめて、単に状況を様々な角度から捉える事も出来るのだ、と見方を変えてみることも面白いと思います

 

とはいえ、実際、良いことは良いし、悪い事は悪いですよね・・(笑)

 

なので、確かに、人として良い生き方はあるけれども、良い悪いのすべては観念(思い込み)に因るものである事をいつも念頭に置くと良いと思います。

 

そうすることで、善悪や正邪の二極に偏り過ぎず、物事をより中立的な視点で眺められるようになります。その結果、自分にとって本当に大事なことからぶれにくくなります。

 

読んでいただいてありがとうございます!