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La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

自立と依存

ニート時代の話

ニートにネガティブなイメージを持つのは固定観念。現代では、ニート本人も家族も『ニート』の状態に対してポジティブなイメージは持たないのが一般的。仮に自分の子供がいつまでも自分の世話になっているとしたら、追い出す事はしないが、ネガティブなイメージを持ってしまうだろう。

 

親だって自分や家族の取り分を取る事に必死なのは同じこと。でも、自分の取り分を取ることに必死になるよりも、お互いに与え合った方が楽に生きられることはみんな知っている。でも、簡単に他人を信用することはできないから、与え合いの社会がすぐには実現しないことも知っている。だから今まで通り、自分の事を中心に考えて生きていくことになる。

 

でも、どこかでそういう流れを変えなければならない時が来ていると感じる。ニートや無職に対してネガティブな感情が湧いてくるのは、背後に特定の観念があるからである。何事も、観念なくして感情は湧いてこないからだ。『誰も助けてくれない』『自分の事は自分でやらなければならない』『人に迷惑をかけるのは恥』こんな思い込みが背後にあるのではないだろうか?

 

これらの思い込みによって、社会の枠から外れることを怖れるようになる。もちろん人に迷惑をかけたいわけじゃない。私が思うのは、社会でも何でも、既存の枠に合わせて生きるのではなく、その枠の意味を考え、より良い形に変えていくことが私たちのする事ではないかと言う事。

 

こんなこと書いていますが、仕事をしたくない訳じゃないし、怠けたいわけじゃない。ただ、もう長い事家族に心理的、経済的負担をかけているので、家族がどんな気持ちか考えたり、自分のしていることは間違っているだろうかと考えたりする事が多い。

 

『何もしないのは悪』という考え方は、『自分の取り分は自分で取る』という観念から生まれるものだ。なぜなら、自分で稼がなきゃ、誰も助けてくれないから。唯一助けてくれる家族でさえも、負担は大きいしずっと助けることは出来ない。

 

もし、何かをする、しないに関わらず、すべての人の生活が無条件に保障されている社会が実現したとしたら、『何もしてない=悪』という考え方は生まれないだろう。もちろん、何もしてない人だらけになると、確かに社会が回らなくなってしまう。

 

でも人は好きなことはしたいものだ。好きな事を仕事にできれば、怠けることはまずあり得ないのではないだろうか。『何もしていないのは悪』という価値観が生まれるのは、現代において多くの人が『好きな事をしていない』ことも原因の一つではないだろうか? 

 

好きな事をしていれば、他人の生き方に文句を言っている暇などないからだ。自分が楽しいから、人の否定的な側面には意識が向かないのだ。むしろ、困っている人を助けたい気持ちが湧いてくるかもしれないのだ。

 

内容を整理すると、皆が幸せに暮らせる社会のポイントとして『好きな事を仕事にする』『与え合いの姿勢を持つ』『自分の為ではなく他人の為に働く』事が挙げられると思う。

 

与え合いとは『依存』ではない。与え合いは自発的な行動であり、自立を生むが、依存は受身であり、怠け者を生む。また与え合いが行き過ぎると、依存を生むとも言えるかもしれない。現代は自立が行き過ぎて個人主義に偏り過ぎていると感じる。理想の社会とは、人の心に『自立』と『依存』がバランスしている社会なのかもしれない。

 

私は現在家族のお世話になっているから、お世辞にも自立しているとは言えないだろう。仮に就職したとしても、自立したとは言えないと思っている。なぜなら、好きな事を見つけ、それを社会と分かちあう方法(=仕事)を実現した時に初めて、自立したと言えると思うからである。

 

もちろん、どんな仕事であれ、一生懸命取り組んで、その仕事で世の中に貢献することも大事だし、私の場合、まずはそこからだと思う。言葉だけでなく行動で示す事ができる人間になる為に、精進したいと思う今日この頃。

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