La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

Life is meaningless 人生に意味はない

何の為に生きるのか』。人生に行き詰った人なら考えているであろうこのテーマ。私も25歳頃から真剣に考え始めました。今日は私なりの思いを書いてみますね。

 

人生を真剣に考える人程、『自分の使命は何だろう』という風に重く受け止めてしまいますが、もっと軽いタッチで良いというのが私の考えです。私は『人生に意味はない』と思っています。どういう事かというと、意味は自分で自由に決めればいいという事です。

 

状況にあらかじめ決められた意味はない

バシャールが良く話している『中立的な視点をもつ』という事ですね。人生で起きてくる出来事は最初から決まった意味を持っていなくて、それに特定の意味を与えるのは私たち自身なのです。ある出来事が起きた時に、ポジティブな気持ちでいるか、ネガティブな気持ちでいるかは自分で選べるという意味です。

 

私たちは、起こった現実を『嬉しいこと』や『悲しいこと』のように勝手に意味付けしてしまいますが、実はこれが思い込みなのです。

 

現実は、私たちの意識の反映です。『自分が与えるもの⇒自分が受け取るもの』と言われますね。与えるものとは、ある状況を目にした時、自分はどんな考え方をもっているか、どんな気持ちでいるかということです。

 

その考え方や気持ち通りの現実を受け取る、即ち体験するということです。

 

単純に、目にした状況がどんなものであれ、それを見た私たちが嬉しい気持ちでいれば、嬉しい気持ちを感じさせる現実を体験し続け、悲しい気持ちでいれば、悲しい気持ちを感じる現実を体験し続けるだけということです。

 

そうすると、悲しい状況や嬉しい状況があるのではなく、私たちが悲しむことや喜ぶことを『選択した』結果、悲しんだり喜んだりしているだけになります。

 

この考え方を取り入れることによって、人生とは他人や世の中にコントロールされるものではなく、自分の意思で選択した結果であることがわかってきます。

 

そういう意味で、『人生に意味はない』と思っています。

 

悲しいことを喜ぶのは不可能だ!と思われるかもしれません。

 

もちろん、悲しむことが悪いわけではありません。悲しむという体験自体に価値があるからです。

 

悲しみだけでなく、すべての体験には価値があります。そういう喜怒哀楽にまみれたドロドロの体験をしたくて、地球に生まれてきた経緯もあるので、嬉しい事も悲しいことも同様に価値のあることです。ただ、何を体験するかは、単に私たちが選択した結果であるということです。

 

実際は嬉しい気持ちで居たからと言って、嬉しい現実にはならないことが多いですが、どんな時も中立的な視点を保ち続けることで、現実が上手くいきやすくなります。私たちが状況に対して中立的な視点を持つ時、心が穏やかであるので、結果的に、また心の穏やかさを生むような現実を自分の意識の反映として受け取ることができます。

 

悲しみや喜びなどの感情が湧いてくるのには、原因があります。それは、これは悲しいこと、これは嬉しいことというような思い込み。それから、物事はこうあるべきという数々の思い込みです。『こうあるべき』から外れた時に、不快な感情が湧いてきます。

 

並行世界のコンセプトを採用する 

私は、人生とは『宇宙の無限の側面を探る旅』だと思います。想像しうる無限のパターンの宇宙がホログラフィーのように重なって存在していて、たった今、あなたが体験する現実は、たった今のあなたのエネルギーと同調した現実です。つまり努力をして良い現実を創ったとしても、その対極に位置する悪い現実も並行して存在しているという事です。

 

例えば、私は数年前、6年勤めた会社を退職しましたが、この考えを採用すると、退職せずに現在もその会社で働いている並行宇宙も存在している事になります。数年前の私の『辞める』という選択によって、異なる可能性の世界を今見ているという事なのです。

 

さらに、もしこの宇宙がたったひとつだけなら、私たちの行動によって何かを変えた事は、世界の一部分を変えた事になりますが、無数の並行世界が存在しているとなると、自分が行動を起こして世界を変えることは不可能になります。

 

なぜなら、世界を変えたのではなく、既に存在しているひとつの並行世界とエネルギーが同調し、それを見ているだけになるからです。何かを変える前の世界も変わらず存在しているのです。もちろん、この『並行世界のコンセプト』が真実か否かは分かりませんが、ひとつの視点としては面白いと思います。

 

ここで言いたいのは次のような事です。並行世界のコンセプトを採用した場合、もし人生でどうしようもない失敗をしたとしても、あなたが見ているその世界は無数にある世界の一パターンに過ぎず、大成功している世界もちゃんと存在していることになります。

 

誰かに迷惑をかけたとしても、その人は、失敗したバージョンの世界でのその人であり、大成功バージョンの世界のその人もちゃんと存在しています。単にあなたの視点が異なる世界に移行しただけなのです。仮にあなたが大成功したとしても、大失敗した世界もちゃんと存在しており、その世界では、あなたに迷惑をかけられて苦しんでいる誰かもちゃんと居るわけです。

 

こう考えると、誰かを苦しめることは根本的に出来ないのではないかとも思えてくるのではないでしょうか? もちろん、だからと言って積極的に誰かに酷い事をしようという事ではないですよ。

 

ここから言えることは、『どんなにネガティブな体験であったとしても、体験から学ぶべきことを学び、体験に感謝し、必要以上に自分を責めず、次に進めば良いだけ』になります。こういう事を考えていると、失敗を恐れずいろんなことに踏み出してみればいいのだと思えてくるのではないでしょうか?

 

私には今ちょっとした病気らしきものがありますが、病気が治った宇宙もちゃんと存在している事になります。あとはどうやってその宇宙と同調するかというだけです。病気という現実を創る事ができたのなら、健康という現実も同様に創る事はできると思いませんか? 

 

病気で落ち込んでしまう時もあるのですが、こういう事を冷静に考えると、病気を治すことは可能ではないかなと思えてきて、ちょっと元気が出てきます。人生とはそういう事を試す為の旅だからです。人生で起こるトラブルも、実はチャンスが与えられていると思えば、前向きな気持ちになるのではないでしょうか?

 

本当は、良い人生も悪い人生も無くて、良いか悪いかを決めているのは私たち自身なのです。幸せになりたければ、単に、ポジティブな捉え方をしていけば良い事になります。そう考えると、幸せとは『築くもの』ではなく『気づくもの』とも言えますね。人間がいかに固定観念に縛られて苦しんでいるかが分かりますね。

 

占いなどをやっていると、『使命』という言葉が出てきますが、そう重く捉える必要もないのではないでしょうか? 幾多の苦難を乗越え、使命を全うし、カッコよく生きる人生も魅力的ですが、『人生に意味はない』ということを覚えておけば、肩の力を抜いて、『いいとこどり』のバランスが良い人生を選ぶことも出来るのではないでしょうか?

 

冒頭の『何の為に生きるのか』に答えるなら、『好きなように生きればいいだけ』という事になります。人生に特別な意味を持たせるか否かもあなたが自由に決めればいいと言う事です。『私の使命は○○を全うすることだ!』と意気込んで生きるのも良し、毎瞬毎瞬の些細な出来事を味わって平凡に過ごすのもまた良し。私たち一人一人の人生には、本当に『自由』が与えられているのです。

 

一見ネガティブに見える現象も、私たちの固定観念がそう感じさせているだけなのです。どんな状況にもポジティブな側面とネガティブな側面があり、どの側面を掬い取るのかは、私たち自身の選択にかかっているのです。その選択次第で、人生は楽しいものにも、辛いものにもなるということです。

 

さて、毎度浮世離れしたテーマで記事を書いていますが、私自身は真剣に考えているテーマのひとつです。例えば、今日お話した並行世界のコンセプトについても、それが真実であれば、現実に対するスタンスが根本的に覆ります。

 

善悪や正邪や優劣などの価値基準が揺らぎます。何が正しくて何が間違っているのか、それは人に決められるものなのか、自分で決めるものなのか、私たちはどうしていまここに存在しているのか・・いろんな事を考える必要が出てきます。

 

正しさが始めから決められているならば、この世に生まれでて多くのことを学ぶ必要はなくなるからです。私は、『人生をより良く生きたいから』こんなことを考えているのだと思います。

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読んでいただいてありがとうございます。