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La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

一人でも平気

昔の私と今の私は、ある意味で真逆な気質を備えていると思う。例えるなら、昔の私は『寂しがり屋』『優柔不断』、今の私は『一人大好き』『外柔内剛』。元々人と関わるのは好き。でも、一人の時間や静かな場所も好き。どちらかといえば、静かな時間を愛する自分。でも10代の頃の私は、兎角周りに合わせて明るく振舞おうとする思いが強かった。

 

学校や職場でも周りの人達が円滑にコミュニケーションを取り、親密な関係を築いているのを見て、それが出来ない自分に引け目を感じることも多かった。特に学校という狭い枠の中では、言い知れぬ無言の圧力や雰囲気があって、その中で自分の居場所を探すのがきつかった。学校って、なぜか気の合う者同士グループが出来て、どれにも属さない者には奇異のまなざしが向けられる事もある。今思えば『自分が気にしているだけ』なのだが、多感な時期なればこそ、周囲の目が突き刺さるように感じるわけで、枠から外れるのが怖かった。

 

夏休み明けなどは、学校に行くのがとても億劫で、前日の夜は眠れず、翌日は寝不足になることもあった。お昼にお弁当を一人で食べるのが恥ずかしかったり、体育の時間などにペアを作ったりするのが苦手だった。自分を守る為に、『真面目さ』という殻に籠ろうとしたこともあった。調子の良いノリに付いてゆけず、どこか冷めた目で見ている事もあった。当時は『一人で居る事』が恥ずかしかったし、兎に角目立たない様にしようという姿勢が強かった。

 

コミュニケーションが上手い人は、初対面の人と会話が弾む事も多く、打ち解けているように見え、それを目の当たりにすると、口下手な自分に引け目を感じることがある。でも気にすることは無いと思う。コミュニケーションが上手いからと言って、その後長い付き合いになるかどうかは別だから。コミュニケーションの上手い下手に関わらず、良き付き合いに発展するかどうかは、自分の心次第。相手に対して誠実な気持ちがあれば、時間がかかったとしても、良き関係を築くことは出来ると思う。そういう意味で、自分の性格に引け目を感じる必要はないのだ。

 

今の私は本当に真逆の気質。自分を無条件に受け容れる事を知っているので、心に余裕が持てる。自分の個性を受け容れ、世の中と分かち合う方法を考えればいいのだと分かっている。調和を乱すことはしないが、『人と違う事』をしたいと思っている。『変わり者』と呼ばれることにも喜びを感じる。学生時代は誰かと『つるまなければ』というある種の強迫観念に苛まれていたが、そもそも自分は『本当に人と関わりたいのか』という疑問が湧いてくる。

 

自分でも良くわからなくなるが、今のところ人間好きな私30%、一人でも平気な私70%くらいの比率。社会人になってから、精神世界や哲学を通じて、内面を探求する時間が多く、ちょっと不思議な世界に魅力を感じている自分。濃い人間関係が重く感じる事もある。はっきり言って、一人でも全然寂しくない。人づきあいが煩わしいと感じる事さえある。捻くれている部分もあるかもしれないが、自分の中に『愛』があるので、寂しくないのだ。愛を他人から得ようとするのではなく、自分から愛を噴出させていくことも出来る。

 

元々ひとつの大きな意識である私たち。自分が自分だと思っている自分は大きな意識のほんの小さな一部分に過ぎない。肉体だけを自分だと錯覚するから辛くなる。この宇宙全部が私であり私たちである事を思い出せば、寂しさも薄れるのではないだろうか。

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