現代は何かを所有するのではなく、共有(シェア)するスタイルが主流になりつつあります。
シェアするスタイルを促進させる為に、インターネットの存在は大きいです。
例えば、音楽や写真や書籍などを入手する為に、これまではCDや写真集や本といった物理的な形で入手する必要がありました。
でもコンピュータが発達したおかげで様々なコンテンツが電子化され、さらにそのコンテンツをインターネットで世界中に一瞬で届けられるようになりました。
もうこうなったら、提供するサービスに料金を設定して商売する必要があるのだろうか・・と思えてきます。
例えば、聴きたいアーティストの音楽があったとして、それをyoutubeで探せば、大抵のものは出てきますよね。もちろん第三者が勝手にアップロードしたもので、法的には好ましくないものもたくさんあるでしょう。
youtubeの他にも、誰でも簡単に動画や写真をアップロードできるサイトがたくさんあります。コンピュータの素晴らしい点は、誰かが一度データをアップロードすれば、無限にコピーが可能であるという事です。つまり、初め有料で提供されたコンテンツを一人が購入し、それをサーバーにアップロードすれば、誰でもそれを見ることが出来るのです。
もちろんこの行為はサービスを提供した側にとっては不利益になってしまうので好ましくはありません。
でもこれは社会のシステムの在り方について見直すべき時が来ている事を意味しています。
自分が提供するサービスが何の為にあるのかという事。
現代ではサービスを提供する目的は、『自分が稼ぐ為』というのが最も大きな目的の一つですが、もしそれが、『他人を幸せにする為』に変わったとしたらどうでしょう。
そのような社会においては、たくさん儲けなくてもいいんです。その場合、自分の提供するサービスが多くの人の役に立つことが一番の目的になります。そうすると、インターネットは、サービスを多くの人と分かち合う為の素晴らしいツールになるわけです。
しかしながら今のところ提供したサービスの対価を得られなければ生活できないので、インターネットで無断でコピーされるという行為が困った行為になるわけですね。
せっかく、コンピュータやインターネットを通じてサービスを多くの人に簡単に提供できるのに、商売となると、お金をくれた人だけにアクセス権限を与える必要が出てきます。元々あるインターネットの有用性である『誰でもアクセスできる』を潰していることになります。
現代において、多くの人は自分や自分の家族の為に働いています。自分の取り分を取る事に必死なので、他人の事まで世話を焼いている余裕はありません。
でもそれを全く逆にしてみたら面白いと思います。つまり、他人の為に働くのです。
自分の給料を稼ぐのではなく、他人の給料を稼ぐのです。他人の為にサービスを提供するのです。
皆が他人の為に与え合ったとすれば、自分の事を心配する必要は無くなります。自分の事は他人や社会の集合体が助けてくれるという信頼がベースにある社会ならば、それも可能ではないでしょうか。もちろんこれは非常にシンプルに考えた場合ですが、これからの社会を構築する上での大事なエッセンスではないかと思います。
考えてみれば、他人や社会を信頼できないから何かを所有するわけで、一人一人が信頼をベースに行動を起こしていけば、多くの物を抱え込む必要は無くなります。
人によって人生のテーマは異なりますが、私たちの多くは、誰かと競争して苦しむ為に生まれてきたわけではないと思います。やはり幸せになりたいと思っている人が多いのではないでしょうか。幸せになる為に何かを所有したり、自分一人で抱え込んだりする必要はありません。
大事なことはとてもシンプルです。
何の為に生きているのか。何の為に社会を作るのか。何のために仕事をするのか・・・。これらを考えれば、理想の社会の形はおのずと見えてくると思います。