この宇宙は意識の創造物であり、私たちの自我を通して、意識は自分自身の内面を観察しています。
私たち一人一人はいわば、宇宙がそれ自身を無限の違った角度から見る為の目であると言えます。
意識自体はそれ自身を体験することができない。でも自分自身の内面を体験したくて、宇宙空間という物理的な現実を創った。物理的な現実をリアルな感覚として体験する為に、肉体を創り、肉体の視点でこの宇宙(意識自身)を体験するというゲームを創造した。
そう考えると、この世に肉体を持って生まれてこれたことは非常に喜ばしいことに思えてきませんか。
五感を通して、この宇宙というものをリアルに体験できるのです。
空気、呼吸、匂い、味、風、音、水、色、光、闇、暑い、寒い、喜び、悲しみ、怒り、苦しみ・・宇宙のありとあらゆる側面を、人間の感覚を通してリアルに体感できることが、本来の私たち(=意識)にとって待ち望んだ体験だとすれば、今私たちがこうして地球上に生きていることがどれだけ喜ばしいことなのかが見えてきます。
しかしながら、私たちは、日常を生きていると、足りていない部分ばかりに目が行ってしまい、いまある幸せを見失いがちになります。
健康な身体があって、ご飯が食べれて、人と会話が出来て、この世界を五感を通して感じられることだけでも、実は凄く幸せなことではないでしょうか。
こんな世界が当たり前に思えるからこそ、その素晴らしさに気づかないのです。でも、私たちがなぜいまこうしてここに存在するのかについて考えてみると、この世界の素晴らしさが少しだけ分かってきます。
仮に病気や障害がある肉体をまとったとしても、その肉体感覚を通してしか感じられない世界があります。
私たちの意識は、自分自身の内側にある無限の可能性をたくさん知りたいと思ってこんな体験をしています。
そうすると、苦しみや悲しみといったネガティブな体験もまた、意識自身の一側面ということになり、ポジティブな体験と同様に価値があります。
単にネガティブな事も体験してみたかった私たち・・・そう捉えると少し苦しみが和らぐと思います。確かに苦しいのだけれど、あまり思い詰めることも無くなります。
今与えられた環境の中で体験できる視点を楽しもう、いま与えられた環境なりの幸せの形を見つけていこう・・そう思えてきます。
私たちはこの世に生まれて時を重ねるにつれ、いつのまにか些細なことが楽しめなくなってしまいました。
子供たちは、小さな事やくだらない事にも笑います。いろんな事が新鮮に感じられるからです。
誰しも、この世に姿を現した当初は、見るもの聞くものすべてが新鮮であり、人間としての体験が楽しくて仕方がなかったのではと思います。
これまで染み込まされてきた様々な価値観を手放すことによって、この世界に対して、生まれた頃のような新鮮な視点を取り戻すことができます。
現実を上手くいかせようとするのではなく、起きてくることをそのままの形で新鮮に捉え、楽しむ事が出来るようになります。
私たちが、意識が自分自身を体験する為の単なる視点であるという考え方を受け入れると、この宇宙のいろんな可能性を探ってみよう・・という好奇心が湧いてきます。
この宇宙には無限の側面がありますが、わたしたちは自分が見たい側面を見ることができるのです。
肉体は自分のものではなく、単に借り物と捉えると良いでしょう。エゴ意識があるとどうしても、他人と比較して、自分の肉体のイケてない部分ばかりに目が行き、それを改善しようとして葛藤が起きますが、この文章に書いたような視点を受け入れる事によって、今ある肉体を大事にして、その肉体を通して感じられることを精一杯味わおう・・そう思えて来ないでしょうか?
別にカッコつけてもいいと思います。私だって、カッコいい方が良いです。
ただ、執着しすぎると苦しくなって本来の目的を見失いますよ・・ということです。
この身体、この自我を通して、この宇宙をどのような形で体験したいか・・という事です。
こんな事を考えていると、とっても自由な気持ちになるのではないでしょうか?