La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

人生は修行でもいいし、遊びでもいい 捉え方は自分次第

怖れは怖れ、不安は不安、喜びは喜び、ワクワクはワクワクの現実を引き付ける。 

現実で何が起きたとしても、その時自分はどんな気持ちでいるのかによってその後自分がどんな現実を体験するかが変わってきます。

 

というのも、起きてくる状況に元々決まった意味は無いからです。その状況を見て、『これは良い事』『これは悪い事』と判断しているのは私たちです。

 

このことを少し考えてみてください。私たちが普段どれだけ固定観念によって状況に善悪や優劣の判断をしてしまっているかが見えてくると思います。

 

しかし現実をどう捉えるのかは、私たち自身が常に自由に選ぶことができるのです。存在するのはあるがままの現実です。それをどう料理するのかは私たち次第なのです。

 

怖れや不安を抱けば、自分も嫌な気持ちになるし、そういう気持ちでいれば、何を見てもそんな気持ちにしかならないものです。さらには、そういう気持ちを感じさせる人や状況を引き寄せてしまいます。

 

逆に、喜びやワクワクの気持ちを抱けば、何を見てもその状況のポジティブな側面を感じるようになります。さらには、ポジティブな人や状況が寄ってくるものです。

 

善悪や優劣を学ぶという学びのテーマがあれば、二元性を超えて現実をどう創るのかを学ぶ、学びのテーマもある

私たちが生まれてくるのは、いろんな感情を味わう為です。

 

善悪を体験する為に、善い事や悪い事をし、優劣を体験する為に、優秀な人間として生まれてきたり、ダメダメな人間になったりします。

 

本来は善悪も優劣も無いのですが、そういう体験をする為の学びと言う事です。

 

だから、自分が優れた人間であれ、ダメな人間であれ、別にいいと思います。

 

もし自分がダメ人間なら、そんな自分を卑下し、傷つけてしまう事もあるでしょう。

 

でも、まずは辛くて自分を傷つけたくなる体験自体にも価値があるのだと言う事、そして、そのことに気づいたら、自分を責めるのをやめて、それまでの自分を赦してあげることもできるという事です。

 

私たちが善悪や優劣を体験できるのは、この世界に多種多様な『違い』があるからこそです。そう考えると、その違いによって生まれる苦しみやしがらみに対しても、感謝の気持ちを向けることができます。

 

地球での学びのテーマにはいろんなバリエーションがありますが、基本のコンセプトは『善悪や優劣といった二元性の枠の中で体験を積む』だと思います。

 

しかしながら、私たちがなぜいまこうしてここに存在しているのかが分かってくると、人生に対する見方が変わってきます。

 

善悪も優劣も様々なしがらみも、元々私たちが体験したくて創り上げた世界観に過ぎないことに気づくと、それらの二元の枠の中で生きるのをやめて、これまでよりも広い視点で世の中を眺めることができるようになります。

 

『現実を創っているのは実は自分自身だった』ということが分かれば、今度は現実をどのように創っていくのかという学びに人生をシフトさせることもできるのです。

 

それは学びと言うより『気づき』です。

 

そうすると、本質的には、正しい生き方も間違った生き方も無い事がわかるのではないでしょうか。何度も書きますが、それを体験出来ること自体に意味があるということですね。この人生をどのような視点で体験するのかは私たち自身が自由に決められるということです。

 

自分にダメな部分があったとしても、それをダメと捉えていること自体が思い込みなのです。物事の否定的な側面を見ているから『ダメ』になってしまうのですね。自分のダメな部分を肯定的に捉えることも出来ます。

 

ダメな部分を改善し、自分の理想(思い込み)を実現するのも良し。ダメな部分を肯定的に捉え、それを強みとするのも良し。どのような捉え方もできるのです。

 

これが、元々与えられている状況に意味は無く、私たちが自由に意味を決められるということです。

 

だから私は、人生は修行と捉えることもできるし、遊びと捉えることもできると考えています。『生まれてくる目的は、自分を厳しく律し、生涯を通じて成長すること』と捉えれば、人生は修行になりますし、『生まれてくる目的は、善悪や優劣などのあらゆる二元を体験する為。真面目に生きても良いし、怠けても良いし、失敗しても良い』と捉えれば人生は遊びになります。

 

どんな人のどんな体験にも価値があると思います。本来、良い生き方も悪い生き方もなくて、唯一『この世界が存在する』という絶対的な真実がある以外は、それをどのような形で体験するかは個人の自由であると思います。それが創造主から与えられた無条件の愛であり、ギフトだと思います。

 

こういうことを考えていると、どんな人生を体験したいかは、本当に自分次第だと思えてくるのではないでしょうか?