なぜ好きなことにこだわるのか
私は、好きなことをやろうとか、固定観念を外そう的な事をたくさん書いていますが、なぜこんなことばかり書いているかと言うと、私自身が、毎日あまり楽しくないからです。
多分、毎日を楽しく生き生きと過ごしている人にとっては、このブログに書いてある事はごくごく当たり前の事かもしれないからです。
好きなことをやろうとした時に、頭で考え過ぎると分からなくなります。自分もそうなのですが、頭でこうしたらいいんじゃないか、ああしたらいいんじゃないかって考えてしまう人は、好きなことを感じる感性が鈍っている可能性があります。
子供の頃のように、止むに止まれぬ好奇心や新鮮な感覚が生きていれば、それを自然に表現できるはずだからです。子供の頃って、今思えばくだらないことで笑ったり、何を体験しても新鮮な感覚を味わえていたと思います。その新鮮さが失われたのはいつ頃からでしょうか。
歳を重ねるにつれて、様々な価値観が自分の中に蓄積され、その価値観が足かせとなって、好きな事が分からなくなったり、感性が鈍ったりしているのだと思います。
固定観念を手放す
私が大事だと思っていることは、
・世の中を中立的な視点で眺める事
・余計な価値観を手放す事
・知性と感性のバランスを取る事
です。
周りの人の価値観というのは、実は自分が信じている価値観です。周りの人が何と言おうと、それに反応しているのは自分だからです。
私たちは、自分の中にあるフィルタ(思い込み)を通して世の中を見ています。そのフィルタを交換すれば、世の中の見え方はガラッと変わります。その結果、周りの人も変わってきます。
好きなことでなくてもいいからやってみる
私は現在、毎日が楽しいわけでもなく、本当にやりたい事が明確に分かっているわけでもありません。
でも、ちょっと気になる事や興味のある事はたくさんあるので、その対象について一歩一歩行動を起こし始めています。
好きな事をやるのは大事ですが、必ずしも好きな事でなくてもいいと思います。
その方が、行動を起こしやすいです。
『好きなことをやろう』と言われると、自分の好きなことは何だろうって考えちゃう人が多いと思います。自分もそうでした。
でも、別に何をしてもいいと思います。『好きなことをやらなければならない』になっちゃうと、それもまたエゴの執着になってしまうので。
大事なのは、自由に生きるということなので。
些細な事に喜びを見いだせる感性を磨くと良い
日常の些細な事に楽しみを見出せるようになると、それ自体が好きなことをして生きているという生き方になると思います。
やっていることはお茶を飲むとか、散歩するとか、音楽を聴くとか、ありふれた行為でも、その一つ一つを心から味わって過ごすことができれば、それで十分幸せを感じられると思うからです。
好きなことをして生きるというのは、何か大きな事を成し遂げるといった形によらず、自分が楽しいと感じる『感性』による部分が大きいのではないかと思います。