La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

『普通』な性格はない 自分は自分でいい

普通になろうとすると辛くなる件について。

 

私の場合は、これまで『普通』になろうとして上手くいかずに苦しんで来た部分があります。

 

10代後半~20代前半くらいまでは、

・意思疎通が思うように出来ない

・自分に自信が持てない

・人の目が突き刺さるくらい気になる

・大きな声が出ない

・人前で話すことが恥ずかしい

・体格やスタイルに自信がない

・小さな事が気になりすぎる(神経質)

・・・etc

 

思春期には誰しも少なからずある悩みだとは思いますが、私の場合は、特に感受性が強かったと思います。恥ずかしいとすぐに赤面したりしましたので。で、そんな自分がまた嫌になっちゃうのですが。

 

一時期小さな事が不安になりすぎて、『また不安な気持ちになるんじゃないだろうか』と心配して不安な気持ちになる二重不安になったり、神経症的な感じになった頃もありました。

 

誰かと友達になりたくても、『自分なんてつまらないし暗いし・・・』というように自信がもてず、そんな自分が余り好きではなかったと思います。

 

今思えば、それも単なる思い込みだったのかな・・っという感じですが。

 

当時の自分は生きづらくて苦しんでいましたが、その後、いろんな人と出逢い、いろんな体験を積んでいく事によって、自分は強くなって行くのでした。

 

周りの人が自分と比べて明るかったり、積極的だったりして、学生生活を楽しんでいるのを見て、自分もそういう事を楽しみたいなと多分心の底では思っていましたが、周囲の人と自分とのギャップが大きくて、自分に自信が持てず、自分をオープンに出来なかった事もあり、私の学生生活は、ぱっとしませんでした。

 

周りの人のように、上手く意思疎通が図れて、自分の意見を堂々と言える事が『普通』だと思っていたので、その普通の人になりたくて、自分の事を傷つけていたのでした。

 

数年後に自分で気づくことになりますが、『普通』なことってないのです。

 

周囲の人と同じになる必要もまったくないです。

 

そこにあるのは、優劣ではなく、単なる違いです。

 

昔の私は、自分を卑下して、自分の事を好きになれなくて、身だしなみとかにも全然気を使わなくて、自分と言う人間を自分でダメにしていたと思います。

 

だって、服を買いに行ったり、散髪に行ったりする事ですら、躊躇してしまうほど恥ずかしがり屋でしたから(笑)

 

でもある時くらいから、恥ずかしがり屋で、繊細で、自信が持てない自分を受け容れられるようになりました。そんな自分が居てもいいんだよな・・・と言う具合に。

 

普通になろうという自分の思いが、自分の心と身体を傷つけていたことに気づいて、もっと自分の事を労わろう・・という気持ちになったのを覚えています。心の深い部分で癒しが起こった感じでした。

 

人と比較する必要なんてない。自分は自分でいいんだ、という気持ちになると、周りの人にも優しい目を向けられるようになりました。同時に、人の目を気にし過ぎるのは、繊細なのではなくて『臆病』なのだという事にも気が付きました(よかったら参考記事もどうぞ)

 

その後は割と自信が持てるようになり、調子に乗ってしまうこともありますが、たまに、当時の自分の優しい気持ちを思い出して、自分の中にある繊細な部分も忘れないようにしています。

 

私は情緒不安定と言うか、調子に乗って勢いづくこともあれば、変な事に敏感になって、悩んだりすることもあり、感情があっちこっちに触れて、浮き沈みが激しい性格です。

 

中2くらいまでは結構明るかったです。さらに、もっと小さい頃は人前で歌を歌うくらいに明るい子供でした。本当は人と関わるのが好きだし、人前で自分の思っていることを素直に話すことが好きなんです。結構目立ちたがり屋なんだよな(笑)。

 

最近、子供の頃に持っていた明るく活動的な自分も取り戻しつつあり、繊細な部分の自分と相まって、本当の自分らしさがようやく表現できてきたかなと思っています。

 

違う人になろうとしなくても、自分が持っている物を素直に受け容れて表現すればいいと思います。

 

『普通』じゃなくてもいいんです。仕事も、恋愛も、生き方も。

 

これからの人生がますます楽しみです。