La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

教育で大事だと思うこと 

私は、今でこそ、毎日、『どう生きるか』というテーマについて考えていますが、子供の頃からこんな事を考えていたわけではありませんでした。

 

社会人になり、生きづらくて、仕事で行き詰って、仕事が嫌で仕方なくて(汗)という経験があったからこそ、真剣に人生について考える様になりました。

 

それまでは自分のやりたいことについて真剣に考える事もなく、何となく生きていた感じがします。

 

私は学生時代、右脳の可能性に強く惹かれ、トレーニングをしていたことがありました。それまでの自分は不器用で、努力してコツコツと成果を出すタイプだったのですが、右脳を使って人生をもっと簡単に、楽しく生きようと言うコンセプトを知って、それまでの価値観がガラッと変わったのを覚えています。

 

今思えば、それが私の人生をそれまでのレールから脱線させた、最初の大きなきっかけでした。なぜなら、右脳開発に強く関心を持ち、意識が大きく変わったおかげで、留年してしまったからです(笑)。留年したのは他にも要因がありますが、間違いなく、その価値観の変化が影響しています。真面目に勉強するのが馬鹿馬鹿しくなったとでもいえばいいでしょうか。今思えば、青二才の考えそのものですね。

 

でも、あの時留年しなければ、前の会社に入る事もなかっただろうし(ストレートに卒業して居た場合、その年は確か募集が無かった)、そこで出会った人たちとも出会えなかったかもしれないので、人生に無駄なことはないんだって思います。

 

右脳の可能性に興味を持ったのがきっかけで、教育がどうあるべきか、というテーマについても興味もつようになりました。

 

社会人になってからも、仕事がつまらなくて、『何のために生きているんだろう?』って真剣に考えるようになったこともあり、ますます教育についても考えるようになりました。

 

それまで普通に学校を卒業したら普通に会社に就職するものだと思って生きてきましたが、今思えば、もっと深く考えるべきでした。

 

大学生も、もっと若い人でも、このテーマについてしっかりと考えている人はたくさんいると思います。でも当時の自分はあまり考えていませんでした。

 

まあ、人の人生にはそういう事を考えるのに適した時期があるとも思いますので、人と比べる必要はないと思います。

 

日本では義務教育がありますが、その後も高校、大学と進学していくのが現在では一般的になっています。

 

いろんな科目、いろんな分野の知識を学ぶ事は有意義ですが、それを何も学生時代に押し込む必要はないと思います。

 

むしろ大人になってから知りたくて自発的に大学に行くと言う方が、本来の大学の在り方としては望ましいと思います。

 

就職の為に大学に行くのが一般的になっていますが、良く考えればそれはどこか不自然です。

 

これまでの教育が、日本の産業を持続的に発展させていく為の人材を供給する目的で作られて来ました。

 

でも、産業の在り方や働き方も、これまでと同じやり方を踏襲する必要はありません。一人一人の好奇心や情熱の対象は違いますので、その対象が必ずしも現在の産業構造と合致するとは限りません。むしろその逆だと思います。

 

日本社会は特に全体の利を重視して、それに個人が合わせていくという考え方で社会が発展してきたと思います。まずはじめに政治があって、どのような社会を構築していくかというヴィジョンがあって、その為にこういう教育をして、こういう人材を供給しようという考えの元に様々な体制が生まれてきたのではないかと思います。要は、全体をコントロールしようという意思の元に様々な活動が成されて来たということです。

 

これからは、もっともっと個人が主体となって社会を構築していく時代になると思います。

 

私たちは育ってきた中で与えられた価値観しか知らないので、それが当たり前としか認識できないのです。でも、そういう価値観にどこか違和感を覚えている人もたくさんいますし、その場合、私たち自身が改善していく必要があります。

 

どういう教育をしたらいいか。

 

もちろん、義務教育の様に、ある程度万人に共通する教育も必要だとは思いますが、高校や大学まで行って学ぶような高度な知識は誰もが知りたいわけじゃないです。

 

基本的な教育に加え、大事なのは、どう生きるか、どう働くか、人生とは何か・・・というテーマについて考える機会をもって貰うこと。

 

仕事とは、自分の好奇心や情熱の対象を見つけ、それをみんなと分かち合う事・・と言うようなことを伝え、その好きな事をどう表現したらいいか考えてもらうことではないかと思います。

 

まあでも、人に教えられるよりも、社会に出て問題にぶち当たってこそ、自発的に真剣に考えるきっかけを得るとも思いますので、一概に望ましい教育というのは無いと思うけれど、就職の為に何となく高校や大学に行って・・みたいなのは、もっと違うスタイルがあってもいいのでは・・と思います。

 

さらに、そういう教育に馴染めなかった人が傷つくことも悲しいことだと思います。

 

これまでの教育体制も、これまでの人間が作って来た、世界の中でも日本という国だけで用いられている内容でしかありません。世界や宇宙の異なる文明においては、もっと素晴らしい教育があるのではないかと思います。

 

大事なのは、それぞれが持っている個性を引き出し、それを皆と分かち合う方法を考える時間を持つこと、そして、これまでの教育も、国が勝手に作った制度で、それに絶対的な価値は無いと言う事。本当に有用な教育なのかどうかもわからないという事です。

 

人間に優劣などはありません。ただ、違いがあるというだけで、それぞれが輝けるステージが必ずあると思います。また、自分が輝けるステージを自分で作っていく事も必要だと思います。自分の心で感じ、自分の頭で考える事が大事だと思います。

 

これからの社会は、義務教育だから必ずそこに行かなければならない・・・という事も無くなると思います。

 

例えば、サドベリースクールという教育機関があります。自分の好きなことを中心に学習をしていくといったコンセプトの教育機関です。

 

仮に、自分に子供がいたとすれば、やはりその子の本当にやりたいことを見つける手伝いをしてあげたいと思うので、必ずしも決まったレールを歩かせる必要もないんじゃないかと思っています。