引きこもりやニートに対して罪悪感を覚える人もいるかもしれませんが、自分はそこまで罪悪感を覚えません。
私は前職を退職してから現在まで、約2年半も仕事をしていません。退職後しばらくは、後悔もありました。条件は申し分無い環境だったのに、それを自ら捨ててしまったわけだから。
仕事を辞めたまでは良かったのに、転職活動もしないで実家にお世話になっていることも、恥ずかしいとか格好悪いと感じていました。まあ、実際に格好よくはないですけれど。
一般的には、仕事を辞めたとしても、実家や縁者に頼ることなく、自分の力で何とかするのが当たり前という風潮があると思いますが、私の場合は、その辺の価値観が世間一般と比べて緩いです。家族が優しいというのもありますが。
人によっては、甘えているとか言われると思います。考えは人それぞれなので、人に何と言われようと気にしない自分がいます。
ただ、この件に関しては、色々と考えました。
あまり人に頼ってばかりなのも迷惑になるけれど、助けてくれる人や環境があるのなら、それを感謝して受け容れる事も大事なのではないかと言う事です。
人は自分一人の力では生きられません。
自立して、仕事して、一人で生計を立てていたとしても、頂いたお金で買えるサービスは自分一人では出来ない事ばかりです。
また、稼いだお金も、自分一人の力だけで稼いだわけではないです。会社員だろうが、個人事業主だろうが、それは同じです。
自分の仕事に協力してくれる人がいて初めて得られる恩恵です。
ニートも仕事してる人も、誰かのお世話になって生きていることに変わりはありません。
怠けて何もしないことや能力がなくて役に立たない事は悪いことではありません。
仮に能力があったとして、その能力が何の為にその人に与えられているのかということなんです。
自分が良い思いをして、ちやほやされて優越感に浸る為に与えられた物でしょうか。
そういう使い方をしようが、どんな使い方をしようが、それは個人の自由ですが、私はそうは思いません。
与えられた才能は、それを磨いて、自分と世の中の人の為に使う為にあるのだと思います。
才能がある人はその才能を表現して、世の中の人と分かち合う。見本になる。
自分みたいな人間も、どうやって自分の才能を開花させて、どのように世の中の人と分かち合うのかと言う事を学び、実践していくこと。もしかしたら将来それを先人達と同じように後進の人たちに伝えていく事になるかもしれないということ。
まあ、能力があろうとなかろうと、みんな幸せを手にしようと必死に生きている事に変わりはありません。有能な人だって、その人の立場で苦労する事もあるだろうし、他の人を蹴落としてでも生きようって思っている人は少ないと思います。競争社会が、人の心に影を落とす部分があると思います。
自分のような人間は、競争社会においてはあまり必要とされていないかもしれないですが、見方を変えれば、だからこそ、こんな自分に合った仕事の形、新しい社会の形を提案していくことができるわけです。
私は、無職の期間中、やっぱり、自分の力で稼いで生きていきたいという気持ちがありました。
でも、今書いた様なことを色々考えていると、もちろん、いつまでも家族の世話にはなれませんが、見栄や体裁などはどうでもよくて、自分の好きな事を仕事にする方法を真剣に考えなきゃいけないんだってつくづく思うわけです。
自分は、多くの人に生かされているという考え方は、どんな仕事をしていく上でも、凄く大事なことだと思っています。
仕事をする本来の目的が、やはり人を幸せにする事にあると思うからです。
私たちは、多くの人、地球、宇宙によって生かされています。
宇宙飛行士は宇宙から地球を眺めると、地球上で起こっている様々な争いが馬鹿げている事だと心から感じるそうです。
私たちも、直接宇宙に行けなくても、youtubeの動画等で地球の映像を見る事はできます。
でも、それだけでも、この地球という惑星が芸術品のように余りにも美しいので、偶然生まれた物とは思えないという不思議な気持ちになります。
毎日普通に生きていると、余りこう言う事まで考えないかもしれないですが、少し視野を広げて、自分が何のために生きているのか、何のために仕事をしているのか、仕事とはどうあるべきか、この宇宙は一体何なのかというような本質的なテーマについて考えてみるのも有意義かと思います。