La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

雑記(長文です)

好きなことをビジネスに繋げようと思っているけれど、現時点では具体的な形が思い浮かばない。

 

現代社会で生活していく為には、ある程度提供したサービスをお金に結びつける必要がある。

 

例えば、

好きな物を売る。

セラピストやカウンセラーをやる。

精神科医になる。

占星術師になる。

哲学者や思想家になる。

宇宙船のビジネスをやる。

 ・・・etc

 

セルフブランディングをして自分を売り込もうにも、いろんな経験やおもしろい何かがなければ、中途半端になってしまうかもしれない。

 

そういう意味で、時間をかけて『ブランド』を磨いていくことになるのだと思う。その為に、好きなことをやり続けてこそ、魅力的に輝いていく部分があると思う。

 

それがいずれ起業する時に役に立つと思うから。

 

好きなことをやり続けること。

 

考え続けること。

 

いま起業するアイディアがないのなら、他の仕事をしながら、少しずつ見つけていけばいいとは思っている。

 

会社に就職したらそれで万事OKというわけではない。

 

その仕事をずっと続けようとは思っていない。

 

もちろん続けてもいいわけだが、自分の場合、起業したいという気持ちが強い。いずれはその方向に進むと思う。

 

起業したいというよりも、情熱や好奇心に囲まれて生きていたいという気持ちがある。

 

その手段として起業も有りかなと思っている。

 

楽しそうだと思う。

 

自分の好きなことを表現することが出来て、それを必要としている人が現れて、その人に喜んでお金を払ってもらえることは、素晴らしいと思う。

 

成功する為には、人と違うことをやる必要があるのは分かっている。

 

でも、競争したいわけではないんだよね。

 

自分が好きな事を表現して生きていくのと同じように、みんな好きな事をして幸せを感じて生きられたらいいのにって思う。

 

みんな競争する為に生きているのではなくて、幸せになる為に生きているし、幸せになる為に仕事をしている。

 

社会を築く目的は、皆が幸せに暮らせる環境を創る為だと思う。

 

その為にひとりひとり出来ることを持ち寄って、皆で分かち合うのだと思う。

 

こんなことは当たり前な事かもしれないけど、毎日の忙しさの中で、考えることを忘れてしまったり、自分には出来ることなんてないし、いくら自分がこう思ったって、おかしな事を考えているならず者達がいるから世界は平和にならない・・・って思っているかもしれない。

 

でも、出来なくてもいいから、やってみることが面白いんじゃないかと。

 

上手く行かなくてもいいと思う。

 

上手くやる為に何かをやるのではなくて、楽しいからやるのだっていう理由が大事なのだと思う。

 

失敗したって、次は上手くやれるようにすればいいのだから。失敗したって、その事が好きでやりたい気持ちがあるんだから、どんどん先に進んでいくはずなのだ。

 

自分は挑戦したい気持ちが強いが、考え方は十人十色だと思うから、結局は、自分の信じた道を行けばいいだけだと思う。

 

自分が見ている世界っていうのは、自分の考えていることや信じていることをそのまま反映している世界だと思っている。

 

少し、精神世界的な話をすると、自分が行動して世界を変えるのではなくて、既に存在している並行世界に移行するということらしい。

 

毎瞬毎瞬、自分の身体が動く事によって、現実の中を移動しているように見えるのだが、実は、この世界は人間の意識が表現されたもので、物理的な動きもまた、自分の意識が、その夢の中で、見方(視点)を変えただけらしい。

 

この話をしだすと、止まらなくなるので、ここではこのくらいにしておこう。

 

つまり、物事を成し遂げる為に、自分だけがあくせく動かなければならないと信じている人は、実際にあくせく動く事で物事を実現していくプロセスを体験すると言う事になる。

 

同様に、物事を成し遂げる為に、タイミングやシンクロニシティを信頼して委ねる事で上手くいくと信じている人は、もちろん自分でも行動するんだけれど、リラックスしながら物事が実現するプロセスを体験することも出来るという事。

 

 自分が信じている事が、自分の体験する現実に影響を与えると言う事。

 

私は、インターネットを使って自分の考えを発信していこうと思っている。

 

ブログを書いているが、このブログ、後で読み返してみたら、そんなに面白くない。

 

さらに、他の人のいろんなブログを読んでいると、自分の文章は、抽象的だなあ・・・って思う部分もある。

 

考えていることは色々あるんだけれど、それを言葉で伝えるスキルが足りない。

 

或いは文章を書く為に必要な『インプット』が不足している。

 

今の時点では、自己満足で書いている部分がある。

 

ただ、何でもそうだが、一歩行動してみて初めて分かることがある。

 

もしブログを書くことが続かないのなら、それはあまり好きではないと言う事だから、無理にやる必要もないし、続けていれば、そのうち、面白い記事を書けるようになるかもしれない。

 

最初から面白い事を書こうと思ってキーボードに手を置いても、思いのほか、指が動かない。

 

今この文章は、頭やハートから流れ出る考えや気持ちをただ言葉に翻訳しているだけで、構成を考えて書いているわけではない。

 

自分が楽しいと思った事を書けばいいんじゃないの?

 

書いてる内に、何が楽しくて、何がつまらないのかももっと良く分かるようになるだろうし。

 

だから、このブログは人に読んでもらうもの向けというよりは、自分の考えを整理しているメモ帳みたいな位置づけの時もある。

 

それでも、ワードに打ち込んでPCのデータとして溜めておくだけよりは、ネットで公開して誰かに読んでもらえたら面白いと思って書いている。

 

また、将来何かのビジネスをやったとして、その時にインターネットを使って情報を発信することになるだろうと思う。

 

その時は、不特定多数の人に対して情報発信しているわけで、あまりおかしなことは書かないだろうし、ある程度興味を持ってもらえる魅力的な内容も考慮して記事を書くと思う。

 

その時の自分がどんな気持ちでブログを書いているのかという事は、今の自分にはわからない。

 

想像することはできるが、実際に書いてみないと分からない。

 

いまこうやって、面白くない記事なりにも、多くの人に向けて情報発信しているわけで、将来の自分と同じことをしていることになる。

 

その気持ちを先に感じてしまう事が重要だと思っている。

 

ヴァイブレーション先取り法って個人的には呼んでいるけれど、なりたい自分の姿をイメージして、その人になった時に、感じるであろう気持ちをいまこの瞬間に感じ、その人になった時にするであろう振る舞いを今この瞬間にしてしまうという方法。

 

一回だけだと潜在意識レベルで染み込まないと思うので、何回でもやってみたら効果が出るかもしれない。

 

要は、なりたい状態が実現した時っていうのは、(当たり前だけど)その現実が本当に起きていると確信しているわけで、今この時点でも、確信はできないにしても、出来るだけそういう気持ちを感じられるように自分の振る舞いや環境を変えてみるという事。

 

精神世界や自己啓発本などで良く言われている事だが、それを実践してみなければ、単なる知識で終わってしまう。

 

自分がそういう情報にワクワクするのは、『自分の人生を自分の思った通りに生きたい』という気持ちがあるからだ。

 

好きなことでも、嫌いなことでもいいから、もっと貪欲に体験していく姿勢があってもいいと思うけれど(自分の場合は)。

 

自分の人生なんだから、もっと柔軟に発想して柔軟に生きていけばいいんじゃない?

 

生きてさえいて、好奇心や情熱さえあれば、何かできることはあると思うから。

 

あまりつまらない事ばかりしていると、前の自分みたいに廃人になりかけて、歓びを感じるセンサーが錆ついてしまって、抜け殻みたいになってしまうから、やっぱり好きな事をするというのは重要だと思う。

 

疲れたら、自分みたいに、好きなだけ休んでもいいんじゃないかと。

 

ある意味、こんなに休息の環境をもてた事は幸せなこと。

 

だから、今度は他の人に恩返し的な気持ちもあって、何かをやりたいという気持ちもある。

 

家族や友人たちから得た恩をその人達に100%返せなくても、社会に対して還元していくという形でもいいのではないかと。

 

恩や感謝を循環させていくという考え方。

 

自分のところに溜めこまないで、自分もそのエネルギーの通り道になるだけ。

 

人間の体のように、すべての器官、すべての細胞に血液や栄養が満遍なく循環していくというモデル。

 

人間の社会もそういう自然な状態になれば、負荷も少なくて済むのではないかと思う。

 

多分そういうのを邪魔するのは、人間の中にあるネガティブな思い込み。

 

それは怖れや不安といった感情で現れてくるもの。

 

結局、社会を望ましい形にしようと思ったら、一人ひとりの(まずは自分から)観念や信念を変えていく必要があるのだと思う。

 

また、他人を変えることはできなくて、変えられるのは、自分だけ。

 

自分を変えた事によって、見えている世界も、変わった自分を反映するものになる。