La mia armonia

精神世界やスピリチュアリティなど、ちょっと不思議な世界をベースに、人生を前向きに生きる考え方を提案しています。起業やビジネスについても書いています。

『臆病な人』は自分の事を考え、『優しい人』は相手の事を考える

臆病と優しさの違いについて。

 

人の目を過度に気にするのは、ある意味自己中心的な振る舞いと言えます。

 

自分がどう思われるかを気にし過ぎることは、自分の事ばかりに意識が向いているからです。

 

以前の自分はそういう部分があった。

 

身だしなみや言動、振る舞いに気を使うことは大事だけれど、それが行き過ぎると、余裕が無くなって、相手に無関心になってしまうかもしれない。

 

感受性が強くて人目が気になるのは確かに生きづらい。

 

そういう性格を変えようにも、臆病な自分が居て、行動に移せないばかりか、そんな自分を好きになれなくてますます辛くなってしまう。

 

そういう性格の自分が居てもいい・・・そんな風に、いまの自分を受け容れてみる。

 

最初は怖くて、恥ずかしくて、何もかも行動に移すのに相当のエネルギーを要するかもしれないが、少しずつでいいから一歩を踏み出してみる。

 

失敗しても、恥ずかしい思いをして疲れ果てて、そんな自分が嫌になってもいい。

 

その時にまた、そんな自分を受け容れてみる。

 

自分のことを心から受け容れることができるようになると、他人に対しても優しくなれます。

 

それは自分の心に余裕が生まれるからです。

 

時にはエゴが顔を出して、自分に自信が持てなくなることもあるけれど、そんな自分が居ても良い。

 

そんな時にはまた、じっくり考えて、心を落ち着かせればいいではないか。

 

他人は自分が思ったほど、私のことを見ていない。

 

人の目とは、実は自分自身の目、自分の意識が創りだした目でもあるのだ。

 

自分の思い込みを変えれば、同じ体験をしたとしても、まず自分の感じ方が変わり、さらには、相手の振る舞いすらも変わってくる事もある。

 

自分が現在どんな人間だったとしても、自分の事をおかしいと思う必要はない(おかしくはない。ただ人と違うだけ。おかしくてもいい)。

 

大事なのは、自分の事ばかり気にして、相手に対して失礼な振る舞いをしてしまわない様に気を付ける事。

 

いろんな人が居ていい。自分は自分の個性をポジティブな方向に生かす。

 

同じように、相手に対して敬意を払い、爽やかに分け隔てなく接する。

 

無意識に優劣を決めてしまう自分の中にある、つまらない価値観を捨てる。

 

いま体験している現実が良ければ自尊心が持てる、悪ければ自尊心が持てないというのは、見せかけの自尊心でしかない。

 

究極は、どんな現実、どんな自分だったとしても、あるがままに受け容れ、好きになること。

 

言葉では簡単だが、これを体現するにあたり、非常に多くの葛藤が付きまとうので、一筋縄ではいかない部分がある。

 

でも、だからこそ、そういう事を試す為に生まれてきた部分もあるのでしょう。

 

最初から完璧さを求めるなんて、それもまたナンセンス。

 

ここまで色々書いてきたが、エゴ丸出しの自分が居てもいい。

 

エゴがしゃしゃり出てくる体験もまた、エキサイティングで楽しい部分があると思うから。

 

でも、あまりそればかりだと疲れてしまうから、要はエゴを嫌うのではなく、エゴ丸出しの愚かな自分さえも受け容れて、バランスが取れた生き方が出来ればいいのだと思う。

 

自分のことを受け容れ、自分に優しくなれることによって、『臆病』が『やさしい』に変わっていくのだと思う。