人生は試す場だと思っています。
生きてる間に自分の好奇心や情熱をどれだけ表現できるかということです。
これまでの人生は、思うように生きられなかった。
環境が悪かったのではなく、自分が抱え込んだ数々の思い込みによって、行動が制限され、人生を十分楽しめていなかった。
2011年、25歳の時、自分の意識がそれまでとは大きく変わった事を記憶しています。
その頃、精神世界の探求が大きく進んだ事もあるのですが、当時の自分は、それだけではない、何か別の力に導かれた気がしていたと当時の手記に書いていました。
いわば、魂の目覚まし時計がかかったとでも表現すればいいでしょうか。
人の真似をしている時間はない。
人の目なんか気にしている場合じゃない。
人と比較して良い気分に浸る為に何かをするのではない。
人の目や体裁なんてどうでもよくなるほど熱中できるなにか。或いは心の平穏を感じられるなにか。
それらがあれば、案外多くの他のものは必要なくなるのかもしれない。
自分の人生、自分の創造なんだから、もっと自由に、柔軟に発想して生きてもいいのに。
私は『物事はこうあるべき』、『普通はこうだ』というのが好きではなくて、どこかで人と違う事をしたいとか、新しいライフスタイルを表現したい・・・という気持ちが強い。
いつ死んでもいいように、毎瞬毎瞬を精一杯生きる事。
願わくば、常に一番したいと思った事をすぐ行動に移すこと。
日常の些細なことに幸せを見出す感性を磨く事。
一瞬一瞬を噛みしめて、しっかり味わって生きる事。
自分の好奇心や情熱の対象を見つけ、それを世の中の人たちと分かち合う為の方法を考えること。
自分の思った通りに生きてみて、上手くいかなくて死んでしまってもそれはそれで本望。
人はいずれ死ぬのだから、ただ生きながらえる為に生きるのではなくて、多少のリスクがあっても、いろんな事にチャレンジしたらいいのではないかと思うから。
生き方にセオリーなんてものはなくて、どんな風に生きたら楽しいか、幸せを感じられるかを試す為にいまここにいると言う事を思い出すのだ。
でも、こんなことを書いている自分は、毎日を惰性で生きている部分もあります(笑)。
でも、昨年末からようやく行動を開始し、人生を次のステップに進める為の準備をしています。
人と比較して焦る事は意味がない。
自分の人生には自分にぴったりのタイミングがあると思うから。